物は色褪せど思い出は
油絵の具のツンとした臭い。
100円玉を入れてようやくガタガタと叫びながら動くエアコン。
蝉の大合唱。
絵の具まみれの床。
同じくらい絵の具まみれの私のお洋服。
終わったあとに貰えるハイチュウ。
怖いけど私の良いところを伸ばしてくれる先生。
小学生だった私の夏休み中の世界は小さな公民館のぼろくて小さな一室が全てだった。
友達とのプールも、夏祭りも、家族とのお出かけも、全部夏休みの間しか使わせてもらえない大きなキャンバスの前ではさほど魅力的ではなかった。
他の何を気にすることもなくただただ絵だけに集中していたかった。
持っているお洋服のほとんどがお兄ちゃんのお下がりばっかりな中数少ないフリフリのお洋服が汚れることもどうでもよかった。
それぐらい本当に目の前のキャンバスだけを見ていた。
そんな中彼は現れた。
私より少し年上そうな、中学生くらいの男の子。
色は白くて体は細くて、前髪が長くって「絵を描く時邪魔にならないのかな?」と思った。
うちの教室にこれぐらいの歳の子が入ってくることはとても珍しかった。
その頃同世代の子達が中学受験の準備に入るためにいっぺんに教室をやめてしまって、教室にはたくさんのマダム達と自分よりうんと年下の子達しかいなかったので、自分の相手をしてくれそうな歳の彼が入ってきてくれたことがとても嬉しかった。
彼は教室にいるマダム達や小さな子たちとは全く違う、私が見たことのないぐらい綺麗な色使いの絵を描く人だった。
彼は私にたくさんの色々なお話をしてくれた。
中学校には絵を描くための部活があること、将来は芸大に行きたいと思っていること、本当は水彩絵の具の方が好きだということ。
年上のお兄さんな彼が好きなものの話をしているときは自分とあまり変わらないんじゃないかと思うくらい無邪気な顔をしているのを見るのがとても好きだった。
好きなものの話をしているときは無邪気な彼も絵を描いている時の顔はとても真剣なものだった。
私は彼が絵を描いている時の真剣な横顔を見て子どもながらに一丁前にドキドキしていた。
今思えばこれが私の初恋だったと思う。
私はだんだん絵を描くことよりも彼のことを見る方にのめり込むようになった。
でも不思議と絵が下手になっていったなんてことはなく、それどころかむしろどんどん彼の良い影響を受け、私はどんどん成長していった。
ある時、私の絵がとある少し大きめの賞をとった。
彼は私にご褒美ねって言ってメモ帳をくれた。
「のなちゃん、名前に菜の花の「菜」がついてるやろ?だから菜の花柄のやつにした!」と言ってきた彼に私は「菜の花じゃなくてミモザだよ」って言おうとしたけど、なんとなくやめた。
夏休みが終わっても彼に会える毎週水曜日が待ち遠しくて仕方なくて、のんびりやな私が水曜日だけは帰りの会が終わった後、ダッシュで家まで帰っていた。中学校が終わるのは小学校よりも遅いので、全く意味はなかったのに。
彼との時間が本当に楽しくて仕方なかった。彼は今まで関わってきた男の子達と違って私をとても女の子扱いしてくれた。
同級生の男の子になんか一切魅力を感じれなかった。
今思えば私の年上好きはここからきてるんだろうな。
楽しい時間は永遠じゃないことを彼に出会って初めて知った。
一年後受験勉強に専念するため、彼が教室をやめることになった。
最後の日、私は彼に彼の名前に入っている海の絵を描いて文房具と一緒に渡した。
絵の中に私と彼の姿を描くことはなんだか恥ずかしくってできなかった。
彼は私に「受験が終わったら一緒にミモザ畑に行こうね」と言って水彩絵の具で描かれたミモザ畑の綺麗な絵とフライングタイガーの上に木でできた王様やお姫様が刺さっている可愛らしい鉛筆をくれた。
絵には私の誕生日が記されていた。
私の誕生日である3月8日がミモザの日と呼ばれていることを彼は1年前から知っていたのだろうか。
貰った鉛筆は彼みたいな絵を描けるようになった時に使おうと思った。
結局私はその鉛筆を使うことはないまま中学進学を機にその絵画教室を辞めた。
鉛筆は今でもずっと私のペン立て代わりにしている大好きなバンドのマグカップに宝物のように綺麗に飾り続けている。
今だから分かるけど完全に実用用ではなく観賞用のものだからこれからもずっとお部屋に飾り続けるつもりだ。
大切に飾っているつもりでもかなり飾りの部分の塗装が色褪せたりしている。
でも私の中での彼との思い出は一生色褪せたりしないんだろうな。
お兄さん、今でもお兄さんらしい自分の好きな絵を続けててほしいなあ。
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