善行の溜まる浴槽
まえに仕事で、心霊スポットだって噂の空き家に入ったことがあって。
僕の住むA県西部には○○市というそこそこ大きい街がある。その中心部の住宅密集地に放置されていた古い空き家が、地元ではけっこう有名な心霊スポットということになっていた。
ネットで検索してみると「西○○地方最凶の心霊スポット」「入ったら必ずのろわれる」「肝だめしにいった不良グループが全員おかしくなった」なんて、かなりセンセーショナルな噂が吹聴されていた。ただなぜそこが心霊スポットになったのか、その曰くというものはほとんど伝わっていないようで、そこには何でもない場所に「心霊スポット」とラベルをつけて遊んでいるだけのような軽薄さも感じられた。
いずれにせよ、なかには近くに住んでいれば十分に場所の察しがつくような情報を載せたものもあって、これはじっさい不法侵入なども多くあったと思う。行政や近所の人たちはさぞ対応に困っていただろう。
でも法改正があって、行政的な処理のメドがたったとかで、くだんの空き家もついに取り壊されることになった。そしてその解体作業の仕事がうちの会社に持ち込まれたので、よく晴れた冬の日の午後に、僕と後輩は現場の下見として噂の心霊スポットを訪れたのだった。
コインパーキングに車を停めて路地の中を進んでいくと、住宅街の風景に溶け込むようにその家はあった。
木材を模したトタンの外壁に青い瓦屋根、間口が狭い玄関とブロック塀の間には、それでも申し訳程度には庭木が植えられている。玄関扉にある侵入防止のためのチェーンと「関係者以外立入禁止」の張り紙が曰くありげな雰囲気を出しているものの、見た目にはよくある高度経済成長期に乱造された建売住宅で、祖父母宅もやはりこんな家だったことを思い出す。実際に見てみるとそこは、思っていたよりも全然怖くない、ありふれた空き家だった。
心霊スポットを前にしていまいち恐怖の感情が湧かなかったのはそのときの状況にも一因があったと思う。じつは現場の下見には僕と後輩のほかに、立ち会う市職員や他の業者など含めて5〜6人の人数が集まっていた。大のおとながこんな日の高いうちにガヤガヤ集まって、だなんて肝だめしとしては失格だろう。
ひととおり挨拶が済むと、市職員が玄関を封じる南京錠を開けて「入ったら必ずのろわれる」家の中へと僕たちを先導した。
家の中は墨汁のようなにおいが充満していた。ほこりっぽい空気に拡散した窓からの陽射しが、室内の光景をぼんやりと浮かび上がらせる。〈生活〉というものを限られた空間にぎゅっと詰め込んだような、小ぢんまりした住まいだった。市職員と他の業者は配管を確認するため一旦外に出たので、僕と後輩で中を見回る。
おそらく不法侵入の輩が荒らしていったらしく、普通の空き家に比べて室内は遥かに荒廃していた。
四畳半ほどの小さな居間はそこらじゅうにゴミや成人雑誌の類が散乱していて、そこから落書きまみれの襖を抜けて隣の仏間に入ると、据え付けられたささやかな仏壇のなかには靴が何足も突っ込まれている。
そうした状況に、恐怖というよりもむしろ憤りに近い感情が湧きだしていた。
それはこの家が想像よりもずっと普通の家で、かつての平凡な生活の気配も残っていて、そんな場所が無惨に荒らされているという状況に嫌悪感を抱いたのだと思う。
アルバムが棚から引き出され、そこから抜き取られただれかの記念写真がぐちゃぐちゃになって床に放置されていて、僕はやりきれない気持ちになった。
そうやって内部の状態を確認していると「え、うわ、なんだこれ?」困惑した後輩の声が聞こえた。
なになに、なんかあったの?声を追って奥に進む。この辺りは家の最奥になるためか、侵入者による荒らされ方もだいぶ穏やかで、生活感が色濃く残っている。
台所横のガラス戸を抜けた先には、人ひとり立っていっぱいになってしまうような小さな脱衣場があって、後輩はそこから浴室の方を覗き込んでいた。僕も肩越しにそちらへ視線を向ける。
浴槽のなかに赤いモノが点々と散っているのが見えて、一瞬びくりと身構えてしまう。
しかしよく見るとそれは、赤く染められた羽根なのだった。募金するともらえる、あの「赤い羽根」が散らされている。
でも赤い羽根?なんでそんなものがこんなところに?
浴槽のなかには赤い羽根のほかに、さまざまな書類や手紙のようなものが山と積まれていた。それらは乱雑に投げ込まれていたので、はじめはよく分からなかったのだけど、そのうちに共通点が見えてきた。
「当NPOに多大な寄付を頂いたことを心より…」
「以下にありますのはプレゼントをいただいた子どもたちからの感謝のメッセージで…」
「次回の400ml献血は〇月〇日以降より可能となって…」
それらはすべて善行の痕跡だった。
だれかの善意に向けられた心からの感謝のことばが、こんな心霊スポットと噂される廃墟の、それも浴槽のなかに堆積している。
書類のなかには領収書も何枚かあったが、そこに記された名前はこの家の玄関に掲げられたボロボロの表札の名前とはまったく違うものだった。
「なんか、この人、めっちゃいい人ってことなんすかね?」
後輩がよく分からないという顔でそう言うので、僕もそういうことなのかなぁ、よく分からないけど、なんて間の抜けた返事をするしかなかったけれど、
浴槽から顔を上げて、
天井の方に目を向けたとき、
わかった。
子どもの時に読んだ『ごんぎつね』
あのいたずらぎつねは自分のいたずらが引き起こした罪を悔いて、その償いにたくさんの食料を贈り届けていたのだけど、ここに詰め込まれているモノも同じようなものだったんじゃないかな。
ただ、ごんのいじらしい贖罪とはちがう。
これは〈保身〉だ。
どうにかして許してほしいけど、
どうしたら許してもらえるか分からないから、
困っている人を助けて、
恵まれない人に愛の手をさしのべて、
それで、その善い行いの証拠をここにもってきて、
「ぼくはこんなに善い人間なんですよ」
「悪い人間ではないんですよ」
「だから、どうか勘弁してください」って、
そうやってじぶんの善行を担保にして、助かろうとしたんだ。
でも、それで助かるのかな。
ごんだってさいごは撃たれて死んだのに。
(みぎななめうえにいるひとのくちびるがうごくのがみえる)
たくさんのぜんこうをかさねてうめあわせしようとしてもだめなものはだめなんだってわかってなかったあのこはかわいそう
(あまりにもてんじょうにちかいからくびがぐにゃってまがっていてだからめをうまくあわせられない)
うん、そうだね。
でも子どもたちはプレゼントを喜んでくれたみたいだから、それだけは良かったのかなって
「いやぁ、やっぱ心霊スポットは変なのがあるんスね!」
後輩がやけに大きな声で感心してみせる。それがすこし面白くて、天井の方から視線を外して僕は笑った。
そうだね、やっぱりちょっと怖いね。
いままで考えていたとりとめのないことを振り払って、僕と後輩は浴室を後にした。
だから結局、心霊スポットらしい変なものがあったのはその浴室ぐらいでしたね。なんだったんでしょうか、あの赤い羽根と書類の山は。
解体工事はそのあとは何事もなく進められて、空き家はまっさらな更地になりましたよ。関わった人がのろわれた、なんてこともありませんでした。今は近くの総合病院が駐車場に使ってるんじゃないかな。
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