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どっちなの!

このところ、心がすさんでいるわたしですが、どうしよう困ったな〜と、棒読みみたいな、ひとごとみたいに、あんまり困っていないみたいな、変な感じがしています。

すさむ(荒む、進む、遊む)(スサブの転)「湧いてくる勢いの赴くままになる。はなはだしくなる。心の赴くままに事をする。」「詩歌などを吟ずる。くちずさむ。」「心をとめて愛する。」「時折、雨や雪が降る。また、時折、風が吹く。」「荒れてこまやかさがなくなる。荒廃する。」「すさまじく思う。いとい捨てる。」「苦しめ痛めつける。」(気分の赴くままにする意。)「心にとめて愛する。」「時折、事をなす。」「いとい捨てる。嫌い避ける。」

すさむ。わたしは、すさむとき、荒れてこまやかさがなくなる気持ちばっかりでしたが、「心をとめて愛する。」とか、気分の赴くままに、心にとめて愛する、感じ、の、意味、も、あるのだなぁ、と、思いました。へぇ〜、という感じでした。


もう少し前には、あんまり聞きたくない話がすすんでいて、これもまた、ひとごとみたい、って、思いたかったけれど、自分のことだったみたいでした。「ついに」という感じと、「やっぱりか」という感じですが、まだ、もう少し、ひとごとにしていたかった感じが強いです。

時間は、「非常に」長い時間、落ち着かせてもらっていたのだけれど、おちつきながら、「すさむ」をしていて、だけど、「すさみ方」が、「荒れる」感じの方ばっかりをしていたので、すこし、まだだめそうですと、思っています。

なにかがわたしはあるのか?ないのか?、なにかに気づかなかった気持ちとか、なにかがわかりたくない気持ちとか、を、隠しながら、茶化しながら、何かわかっていないままだけど、なにかを知ってたような気分はしていたけど、だけどなんにもないかもしれないけれど、とうとう、避けられなくなったぞ、というところまで来てしまった感じです。逃げ足は、遅いことは、知っていたけど、「どうしましょう」止まりでしたから、「気をつけましょう」と思いました。


「心をとめて愛する」も、大事な事なんでしょうね。見るからに大事そうな「ことば」をしてますものね!なんだ!こら!!!できるなら知らんぷりしてたい!なんだと!こら!なにかしてみるか!もーーーしょうがない!なんもない!という感じに、喧嘩しているのかなぁと、思います。ほんと仲良くして、私の心、と、思いました。

蒸気機関車みたいに、頭の中はプシューっと、熱々になっているけれど、顔は怖いくらいに無気力です。疲れて疲れて、もう、「どん詰まり」という感じがしました。もー。ちょっと、もう、嫌。勘弁してほしい。

ついに(終に、遂に)(一説に、ツヒユ(衰える・潰れる意)と同源かという)「おわりに。しまいに。とうとう。結局。」「(下に否定を伴って)いまもって。いまだに。ついぞ。」

どんづまり「(ドンは接頭語)物事の最後。はて。また、道理が行詰まりになっていること。」

白々しい(シラシラシとも)「いかにも白く見える。白い。」「興ざめである。あじきない。」「しらばくれている。(裏の気持ちが)見えすいている。そらぞらしい。」

ちゃかす(茶化すと当て字)「冗談にしてしまう。ひやかす。からかう。茶にする。」「冗談のようにして、はぐらかす。ごまかす。」

「もうひとふんばり」なんて、もう何ふんばりしてるのかしら、、というかんじでした。だけど、たぶん、ふんばりたいんでしょうね。めんどくさー、と、クールぶってかっこよくしたつもりをしても、わたしはクールじゃないんですね。クールが良かった。


すさんで、落ち込んで、迷い込んで、またなんとなくの、いたずら書きをしました。いたずら書き、落書き、好きな言葉だ、と、書いてみて思いました。あと、ごっこ遊びも、好きになれる言葉でした。

今日は、いっぱい写真を載せたいと思います。

なかなか、自分で書いておいて変だけれど、「恐怖映像」という感じで、心配になる言葉を書いた気がして、写真に撮りながら「えーこの人大丈夫かな」って、思いました。

書いていた時は、「お水がプルプルで可愛いな」って思っていたのですけれど、それもまた「恐怖映像」の感じかもしれない。仕事から帰ってきた家族が、「こわい〜」って、いっていました。わたしは、それが楽しかったです。私にとって書いている言葉の重苦しさが、どうでもいい事になっていたのかな?と、思いました。

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これ↑を、乾かすのが、うまくいかなくて、↓こうなっちゃった。

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これ↓は、絵の具の色、綺麗だな、どれにしようかな、って、思いながら書いていましたよ。こわいー。

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これ↓はね、いつもと違う紙に書いたから、染み込み方が違くて楽しくて、こんな感じになっちゃった。「張り裂ける日もあるでしょう」って書きました。「張り裂ける」っていう、漢字が書けなくて、辞書を見ながら書きました。ださい。「ださい」って、顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい。

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それで、いろいろ書いてみて、心を込めてなにかを描けるひとに、憧れました。わたしは、自分が書いた字に心がこもっているのかわからない。あ、あと、書いてみて思ったのは、悲しかったり、重苦しい気持ちの、自分の中での重さが、少しでも、書いたやつにでていると思えると、ちょっと、心が軽くなる感じがしました。


ふと、思い出したこと、友達と、山登りみたいな、ピクニックみたいな、お出かけに行った時に、激しめに転んだ時、わたしは、「お願い!顔にだけは怪我したくないの!!!!」って、強く思ったんですよ。わたしは全部、全部じゃなくても、わたしのちょっとは、それかもしれない、って、思いました。


これ↓は、雨が降っていたから、雨だなって、悲しくなって書きました。そのまんまだ。床に絵の具が垂れて、掃除がめんどくさかった!

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これ↓は、左側から書いちゃってて、読みにくいけど、「家族に心配されないこと」+「沈んだ気持ち書きたい!という感じの爆発」です。傘マーク可愛いでしょ、と、思いながら書きました。

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これ↓は、たんぽぽです。書き心地がいいなぁ、と思って書いたこの紙は、障子紙だったみたいです。よく吸い込む。

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もう、諦めたい、とか、やめたいとか、ギブアップ、みたいな、気持ちになることが、多いわたしですけれど、「やめたいなら、やめればいいじゃん」とか、「やめたいっていったの、あんたじゃん」とか、「めんどくさい」とか、「くらい」とか、「かまってちゃん」とか、そういう言葉もあるけれど、そういう言葉を考えても、なんとなく「その通り」とは、思えなくて、どん詰まりだって思うのに、そのままにできなくて、無表情になるのかな?と、思いながら、変な感じで、

ペンを持てば、アンパンマンを顔だけ書く、みたいに、「なんにもできないわたし」という感じになって、

ドラえもんも、プリンセスも、発明品とか、きらきら〜っとした気持ちとかをくれるけど、アンパンマンは助けに来てくれないな〜と、思ったりしていて、

「くらい」のはだめで、「道端に咲く花のように」みたいな、おしゃれな形容詞?が、あって、「道端に咲くお花のきれいさをみつけられるこころ」みたいな、美しい心はわたしにはないなーと、すさんでみて、こういうところは、メルヘンな心をもっていないわたし、くっそ!みたいになっていて、

だけど、この前、すごくすごく行き詰まった時に、病院の入り口の陰にたんぽぽが咲いていて、すごく綺麗だと思ってしまいました。

たんぽぽが目に入る自分が、すごく居心地が悪かったです。

それで、たんぽぽがアンパンマンみたいに感じられて、うわーここにアンパンマンがいるーと、思ったら、アレルギー反応みたいに、いろんなところに咲いているお花に目がいって、すごく、気持ちが悪くて、居心地が悪くて、息がつまる感じがしました。

また目が回るし、息ができないし、頭も痛いし、心臓は不必要なぐらいたくさんドキドキしてくるし、「拒否反応」とか、「アナフィラキシーショック」とか、それくらい強い言葉をいいたくなるくらい、「大変」な出来事でした。

春だからね、黄色は明るく見えるからね、という冷静なつっこみ?指摘?説明?を、しているわたしもいるけれど、きれいなたんぽぽを絵に描きたくなる気持ちもあるし、ぐちゃぐちゃに塗りつぶしたい気持ちもする。

そんなふうに、いろいろ考えながら、いたずら書きをいろいろして、絵の具をジャムの瓶に入れたお水で洗って書いていて、ふと瓶を見たら、絵の具で汚れたはずのお水が、きらきらの絵の具を洗い流して、ふわふわ揺れていてすごく綺麗で、ここにもアンパンマンがいた感じがして、もう、どうしていいかわからない感じでいます。

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机は、藍色の絵の具がついて、すこしべたべたしています。


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