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メンテナンス。

「美人さん。好き!なりたい、なれない!」

今日は、眉を整えました。

眉「目の上に横に連なって生えた毛。まゆげ。まいげ。まよ。」「眉墨(眉を墨でかくこと。また、そのかいた眉。まゆがき。まゆ。)の略。」「烏帽子(えぼし)の前面、額の上を押し込んだ所に出る皺の横線。左右両方にあるのを諸(もろ)眉、左右いずれか一方のを左眉・右眉といい、使用を異にした。」「牛車(ぎっしゃ)の屋形の前後にある軒(のき)。ふつう方形の角を削り落とした形のもの。」「(建)虹梁(こうりょう)・破風板などの材の縁に沿って装飾的に彫り込んだ眉形の刳形(くりかた)。眉欠(まゆかき)。

眉に唾を塗る。「欺かれない用心をする。」

眉唾「(眉に唾をつければ、狐狸にだまされないという俗信に基づく)欺かれないように用心をすること。」

眉唾物(まゆつばもの)「いかがわしいもの。真偽のうたがわしいもの。」

眉に火がつく「危険が身に迫る。物事が差し迫る。(焦眉の急と同意。)」

焦眉(しょうび)「(火が眉を焦がすほどに迫る意)危険が迫ること。燃眉。」

焦眉(しょうび)の急(きゅう)「さし迫った危難または急務。」

産毛(うぶげ)「子供の生まれたときから生えている毛。うぶかみ。また、そのような柔らかく薄く生えている毛。」


まゆげ。眉毛。

眉毛とか、産毛とか、は、失礼のないように、汚い感じ、不潔な感じにならないように、整えておく方がいいし、みんなしているし、マナーだし、きれいだし、そうしたいし、そうありたい。

けど、はえてくる、のびてくる、形が崩れてくる。

美容外科行きたい、エステ行きたい、整えておきたい。

だってきれいだもん。


それで、お金をかけて、綺麗にしてもらう。

けど、今度は、その施術?の、負担で、お肌が荒れたり、赤くなったりして、また直す。敏感肌。

それで、疲れています。めんどくさいよー。


それで、また、考えてみることにして、何回も直さなきゃいけなかったり、似合う形をすごく考えなくちゃいけなかったり、流行の形も似合わなきゃいけなかったり、が、大変。なんで綺麗に整えることって、こんなにしんどいんだろうって、思って、考えています。

しんどい「(関西方言)(心労の転か)くたびれている。つらい。くるしい。」


疲れているときって、しんどいから、最低限のことしかしたくないし、できないし、綺麗っていわれてみたい、とか、美人になりたいとか、顔の、ここをもうちょっとこうしたら、せめてこうなってこれくらい今の自分よりも綺麗な感じがほのかに出せるかもしれないから、とか、考えて、やってみて、できなくて、不自然で、頑張ったのにーもーいやーって、もっと疲れて、そして、また生えてきて、くずれてきて、それにやりはじめるときりがなくて、やりすぎたら、生えてくれるのを待たなきゃいけなくて、あーもー!!!って、爆発する。


けど、やっぱり、綺麗になりたい、って、思ってしまう気持ちがあって、それで、やっぱり、自分が不憫?に、ならないような、やり方?動機付け?顔?、を、探さなきゃ、やってられないのだと思って、「しょーもないなー」と、思います。

ふびん(不便)(不憫・不愍は後の当て字)「つごうが悪いこと。困ること。不都合。ふべん。」「めんどうをみること。かわいがること。」「あわれむべきこと。かわいそうなこと。」

ふびんがる(不便がる・不憫がる)「かわいそうに思う。」


それで、あぁ、わたしの顔って、荒れ果てたお寺みたいって、思ってみました。日本のことを思うことが多いからお寺が出てきたのかな。お寺も、綺麗なお寺、綺麗じゃないお寺、古いお寺、新しいお寺、とか、いろいろあるなぁ、と思いました。

だけど、古くて綺麗なお寺って、あるから、じゃあ何?って、考えていて、あぁ、お寺の人たちが大切にして整えているのを毎日しているのってすごいって思いました。

じゃあ、わたしの「荒れ果てた、古い、腐りかけの、お寺」も、「お寺の人たち」が、きれいにするなら、どうするかなって、考えてみて、それで、例えば、私の憧れる、綺麗なお顔立ちを、「最高に綺麗な大聖堂」とか、だったとして、「お寺を大聖堂」にする大作戦を、いつも立てていたとしたら、わたしがしようとしていたことは、「すごい」ことだったなぁと、笑いました。

大人気、とか、みんながなりたい、とか、みんなの憧れの、とか、に、私もなりたかったのだなぁ、と、思いました。


そんな感じに、思っていても、わたしの「荒れ果てた、古い、腐りかけの、お寺」と、「最高に綺麗な大聖堂」は、かけ離れていて、この、わたしの、「荒れ果てた、古い、腐りかけの、お寺」に、助けに?ボランディア?で、来てくれた「お寺の人たち?」は、どうするのかな?と、考えてみました。

「きれい」に、するために使える、わたしの「時間と、手間と、ほんっのわずかな資金?元手?と、小さい?未来?短い?将来?これから先の生活?」など、いろいろを、落ち着いて、歴史?を大切にしながら?、冷静に、わたしを一番大切に考えながら決めたら、どうするのかな。

全部壊して一から建て直そうということも、考えると思うけれど、選ばない、選べない、と、思いました。違う方法で、「ほこり」とか、「カビ」とか、「鬱蒼と茂った木」とか、「傾いた建物」とか、を、「整えたり」、「拭いたり」、「掃いたり」、「補強?」したり、してくれるかもしれないなぁ、って、思いました。

それで、「わたしの顔」に戻ってきて考えてみて、うーん。

日本人らしさの綺麗なお顔立ちが「綺麗な日本庭園」と、したら、「日本庭園」も、わたしとはかけ離れた美しさだと思いました。

じゃあ、もうだめだ!って、思ったけど、こじつけてみたら、「個人が、趣味で楽しんでいる、盆栽」ということだったら、まぁまぁ、よしとしてもよいでしょう、と、思いました。


わたしの顔は、「個人的に楽しんでいる、下手の横好きの、下手な趣味の、盆栽を真似しても、よく、枯れたり、カビたり?、朽ち果ててどうしようもなくなったりして、庭の隅に置いて、見ないふりをして、しばらく放置して、いたら、また、雑草が生えてきてくれるようになってきたかな〜?、どうかな〜?」ぐらいの感じの、鉢植え、と、思うことにしました。

気分が楽になりました。

最後には、鉢植えになっちゃったんですよ。盆栽がいいけど、「まぁいっか」。



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