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お買い物。

お調べ学習ごっことお絵描きごっこです。ばらばらとしています。


諦める、に、ついて、見聞きしたので、考えていたんです。あぁ、ここは、諦めるところだなぁって思う気持があって、よく出てくる気持なんです。「諦める」に、賛成することが多いです。「ちゃんと」あきらめます。当然とか、普通にとか、そういうことなんだろうなぁ、というような感じで、ちゃんと諦めるに賛成します。

諦める「思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする。」

明らか(あきらか)「曇り、かげりがなく、はっきりと明るいさま。」「物事がはっきりしているさま。他と紛れないような、明白なさま。事柄が明白で、疑いをはさむ余地がないさま。道理に明るいさま。」「正直。」

道理で(どうりで)「(その原因・理由ゆえに、の意)事情が分って不審がなくなった意を表す語。なるほど。」

道理でしっくりこなかったはずだ、と思いました。


特にできることがなくて、探している途中で、言葉を書くことが、限界になるのってとても簡単で、ひどいときは、ことばが口からも出てこなくなる。それでもなにかしたいなぁ〜って思っても、「書こう」しか思い浮かばないので、お絵描きセットを揃えることにしました。私にとっては、その時は、お絵描きは、日記よりは大丈夫で、文章よりは大丈夫?みたいな感じだと思ったんです。

それで、調べてみていて、絵の具がね、日本のものは、石とかからできているそうで、昔の物はもう高価で、標本のように希少で、今ではもう、絵の具にできないぐらいのものもあるし、有毒な物もあるそうです。

それで、「心がごっこ遊びになりきる?はまりこむ?」ためには、あんまりどこにでもあるような物だと、「気分が乗らない?なりきれない?ごっこ遊びの役に入りきれない?」感じがしたので、「ちゃんと」っぽいものの、「初心者用」っぽいものを考えていました。

「ちゃんと」に偏ると「高い」から、わたしの「諦めるポイント」なんだろうなぁと、ぼんやり思いました。「だけど偽物じゃ嫌なの」という感じのプライド?みたいな感じのものが、「うるさく」なります。

にせもの(贋物・偽物)「似せてつくったもの。偽物(ぎぶつ)。偽造品。」


だけど、そういう日本の絵の具っぽい感じを、今も、なにもない私のようなものにも、「使えるように?味わえるように?楽しめるように?」してくれている?残してくれている?「人?事?事実?なにか?」が、あるのだなぁ、と思いました。

それで、「みんなが分けてくれている」から「がんばれる」なぁって思いました。

ポイント(point)「点。地点。」「要点。」「小数点。」「得点。点数。」「二つの百分率の値を比べた時の差。」「鉄道の転轍(てんてつ)機。」「ポイント活字の大きさの単位。」「尖頭器。」

ポイント-オブ-ビュー(point of view)「見地。観点。視点。」

眼張る(がんばる)「目をつける。見張る。」

頑張る(がんばる)(頑張るは当て字。我に張るの転。)「我意を張り通す。」「どこまでも忍耐して努力する。」「ある場所を占めて動かない。」

分ける・別ける(わける)「(境界をくっきりとつけて)離す。区別する。区分する。」「前を押し開いて進む。」「くばる。分配する。」「弁別する。判別する。」「判決する。仲裁する。」「引き分けにする。」

弁別(べんべつ)「わきまえわかつこと。見分けること。識別。」

がんばれるって、なんだかちゃんと「表していないな」って思って、かえたいけれど、まだまだみつからない。今の気持ちの、「がんばれる」と「がんばる」がとても違う物みたいでした。わからないままって居心地が悪いんだね、と、思いました。

楽しいと面白いも違うし。わたしはどれだけのことをうやむやにしていたのでしょうね、と思いました。まぜこぜ。ごちゃまぜ。

うやむや(有耶無耶)「あるかないか、はっきりしないこと。転じて、いいかげんなこと。曖昧なこと。」「胸がもやもやしているさま。(主として明治期に用いた。)」

うやむやも漢字でかけることばだったとは。自分にちょっと絶望。仕方ない。


あとは、「本をまたげない」っていうことをね、克服しようと思ったのですが、それはちょっとおかしいことだったと、思いました。やめました。

「本を跨げない」というのはね、子どもの頃からの「お行儀」で教わっていて、はじめは、幼い時「訳も分からず」そうしていて、それで、だんだん「大切なものだから、跨いじゃいけないものだ」って思っていたはずなのに、何かをこじらせたのかなぁ?、「本さえ跨げない何もできないダメなわたし」みたいな、「悲劇ごっこ?」に、陥ってしまっていた、「謎のネガティブ」を、ずーっと引きずっていたことに、挑戦してみたんです。

反抗期ごっこなのでしょうか。「親へまだ反抗したいの?」と、思いましたが、それは全然違うみたいで、「じゃあ何に反抗したいの?」というと、うーん。「自分に反抗しているの?」うーん。

わからなくて、考えるのを後回しにして、しばらくそのままにしています。

とりあえず、本を跨げないことを、考えて書いた文があって、それをきっかけに、本を、床に置いたままにしてしばらく過ごしていました。

そうしたら、跨げそうかな?と思って、跨いでみました。跨ぐことができました。

それは、すごく変な、気持悪い感じがして、怖くて、だけどまだそのまま置いておきました。だんだん跨ごうと思えば、できるようには、なっていました。


そして今、今日この頃、絵の具でいたずら書きをした時、乾かすために床に置いてみていました。いたずら書きです。だけど、一応、また、跨ぐ?跨がない?の、時が来ました。横を通ってみました。

申し訳なくて仕方なくなりました。自分で書いたただのいたずら書きなのに、何かに申し訳なくなっていました。

「自分がした、いたずら書き」一枚の紙、とか、「大量生産」の感じとか、コピー用紙とかかなぁ。特別じゃない感じとか、普通とか、当たり前とか、そういう感じを、跨いでみましたけれど、やっぱり、もうしません、と思いました。

跨げるほうが、最短距離でいけるから楽だし、気にしないほうが効率的だし、跨いだって誰も死なないし、文句を言うわけでもないし、別に構わないことだし、特にわたしは気にしすぎるタイプだし、急いでいるわけだし、跨いでるひとを見たことあるし、だけどなんでできないの?、という気持ちがあったみたいでしたけれど、なんか変でした。

土足でふみこむ?ふみあらす?なんかそういう表現があったなぁと、またぼんやりと、おもいました。

大切にされた気持ち?うみだされた感じ?が、とても伝わってくるからかなぁ。どう考えたらよかったか、わからなすぎていたのかな。本当にごめんなさい。

「なんにもない、なんにもよくわからない、なにがなにやら、どうなっているの?わたし」という感じの状態のわたしに、本とかも、なんでも、言葉も?なにかも、気持ちとか?、なにか?、何?わからないけど、知識?なんなのか、なんでも、全部、分けてもらっているから、「諦めるポイント」だってわかっていても?「がんばりたい?」と、思うことができている?、できそうな気がしてくる?なんだ?、うーん。前向き?楽観的?ポジティブ?うーん。わからないのだけれど、なんとなく、こんな感じを、もらっている?のかな?と、思いました。

足を向けて眠れないみたいな言い方もあったなぁと思いました。

「しつけ」みたいな、こういう感じのこととかは、いまは、「関係なく」とまではいかないけれど、「わたしは、大切にしたいから跨がないんだ」のような、そんな感じの気持ちに変わってきたみたいでした。そして、気持ちが楽になりました。

だから本も物も大切にしていきたいと思うし、「気にしすぎ」でも、大切に扱いたい気持ちがあるのは、別にそのままにしておいても、放っておいてもいいこと?かな?と、思いました。「非効率」でも、「まぁいっか」みたいな感じでした。

なにか、書いたら「おさまった」感じがしたら、「よかった」です。

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絵の具を並べたのなら、絵を描けばいいのに、絵を描きたいと思っていたはずなのに、例えばりんごとか、何かを書こうと思うなら、りんごを手に取ればいいのに。

りんごとかを、手に取ろうと思ったら、気力が消えていくふしぎ。絵を描きたいんじゃないのかな?ハードルが高いのかな?下書きをして「大切に」何かを描きたいはずだった。から、準備したはずが、思い通りにはいきません。「まぁいっか」です。

またいたずら書きをしようと思いました。



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