人の限界を越えること
人間がおもいっきり走れる速さより速い乗り物に当たると大怪我を負う。
自分で跳ねて届く高さより高いところから落ちると怪我をする。
人間は、地球上の動物の一種として生きるよりも、己が能力を超えた暮らしをしていると思う。いや、し過ぎていると思う。
それを実現できたから。
便利だから。
そうなのだけれど。
そうなのだけれどなんだか。
いいのかなぁ、このままどんどんいくのって。
凄い力を追い求め過ぎることに違和感を感じる。車の自動運転とか、5Gとか、リニアモーターカーとか、プルサーマルとか。凄いよ?凄いけどさ、それって絶対必要?
生き物として本当じゃない、不自然な暮らしをしていると思う。自然を歪めて人間の都合のいいようにいいように変えまくり、変え過ぎていないか。
こんなことを言っているわたしも、不自然なことから恩恵をたくさん受けている。酷暑の夏には一日中クーラーをつけっぱなしだし、離れた場所への移動には、車も電車も飛行機も利用する。
でも、今にしっぺ返しが来るのではないかと。いや、もう来始めているのかもしれない。昨今の異常気象、天変地異を聞くたびに思う。
やり過ぎた人間を淘汰するために、地球が人間の生きにくい環境をつくっているのではないかとさえ思ったりする。
コロナでさえそうなのではないかと疑う気持ちになる。
もっと自然に対して謙虚な気持ちを持つべきではないのか。
我々は自然の一部であることを、ちゃんと心得ておくべきではないだろうか。自然との共存共栄が地球に生きる物として当然の立場じゃないかと思っている。
さしあたって今できることをする。
節電・節水・ごみを少なくする・自然に還る素材の物を選ぶ。ごみを正しく出す。
あとは勉強。知らないでいるのは良くないんだってわかった。
例えば、話題になっているプラスチックの問題。
レジ袋が有料化されたり、カフェのストローが紙になったりしているけれど、それだけで解決することではなさそうだ。ウミガメの鼻にストローが刺さっていたり、レジ袋が詰まった胃袋の映像はショッキングだった。海に流れ込んだプラスチックが生物に与える影響の一つとしてわかりやすい例だ。そして放置されたレジ袋やペットボトルが海へ流れて、時間とともに劣化して小さな小さなプラスチック片になる。マイクロプラスチックの原因はそれくらいかと思っていたが、それだけではないらしい。家庭から出る排水の中にも、すでにマイクロプラスチックが存在しているとか。一部の洗顔料などのスクラブ成分がそうらしい。慌てて我が家のスクラブ入り洗顔料をチェックしたのは言うまでもない。ウチにあったのはセルロース(自然由来)でした。他には台所で使うスポンジ。そう、使っているうちにクタクタになってやせていくスポンジ。そうだよね、一部流れて行ってしまっているんだよね。排水溝に目の細かいネットをかけているけれど、それでも全部が止まっているとは思えない。下水処理施設でどれだけ回収してもらえているのかわからないから、極力流さないよう心掛けるようにしよう。まずはセルロースのスポンジを使うことにした。
マイクロプラスチックが生態系にどれだけ悪影響を及ぼすのか詳しくはわかっていない。でも、わかるのは手遅れになってからじゃないか。数十年先に何か大きな問題だとわかるかもしれない。あの頃から気を付けていればこんなことにはならなかったのに。問題を先送りしたばっかりにすぐに取り返すことが出来ないことに。となる可能性もあるかもしれない。
海は雄大でなんでも許容してくれるような気がするが、いくら心の広い海でも、なんでも薄めてくれると思うのは間違いだと思う。人間の優れた能力はこっちに注ぐべきなんじゃないか。人間がごみを出すのだから、自然への敬意を込めて人間のできる限りのことはやろう。