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「認められたい」という気持ち

ごきげんよう。
ほめられると嬉しい
しろひつじです。

きっと誰しもがそうでしょう?
照れたり、謙遜してても、実は心の奥では嬉しいでしょ?
ほめられるって、頑張ってしたことに対するご褒美ですもの。
モチベーションが上がる。
次も頑張ろうと思える。
TwitterやInstagramにつく「いいね」はそういうところに目をつけた、画期的なシステムだと思います。

だけど
なんかモヤモヤすることも。

数年前、わたしはエイヤッと思い切って欲しかったカメラを手に入れて、下手ながら写真を撮るようになりました。
魔女になる修行の一環として、公に出る練習に、勇気を出してInstagramに登録してみました。
自分なりに気に入った出来の写真を載せ始めると、少しずつながら、見てくださる方が増えていきました。
新たな閲覧者が増える度に「見てくれてありがとう!」という気持ちで一杯になって、お返しにその人のインスタに「いいね」を複数つけて帰ってきたりしていました。
それがマナーかなと思ったし、そうしたいと思ったから。

一歩踏み出せた!としばらくは、嬉しい気持ちでいたのですが…
だんだん違和感が増えてきて…
結果、更新頻度が鈍くなっていくことに。(ま、これはいつものことですが)

「いいね」をつけてくれた相手のインスタをザーッと見ても、わたしがいいなと思える写真が特にない場合、最近アップされた写真にとりあえずの「いいね」を、どうにも…つけたくない。
割り切ればいいのだろうけれど、なんだか嘘なのに…と思いだしたら違和感に耐えられなくなってきて…
自分の作品につく「いいね」もこういうことなのか、とも思ったし、それよりも、「いいね」が欲しい為に『ウケる作品』にしようとする自分に気付いてしまったから…

なんだよ、それ。
やりたかったのは、こういうことじゃないんだよ。
評価が欲しいから、写真を撮るわけじゃないんだって。
自分が気に入った写真が撮れて、他の誰かが同じように気に入ってくれたことが知れて、それが嬉しかったはず。

なのに

どれだけ心が弱いんだか、と思います。
わかっています。自意識が過剰すぎるのです。
ホント修行が足りてない。評価のところを非表示にしてしまいたい。

頑張って、もう少し心を鍛え直してから、再チャレンジすることにします。
人の評価に左右されずに「自分はこうだから!」と自信を持って強く発信できるように、鍛えるよう努めます。
そう、今のわたしに足りないのは、自分の力を信じる気持ちかな。

よって目下そのインスタアカウントは、ハッシュタグを付けずに誰の目にもとまらないようにアップするだけ。

それでも、つくづく思うのは
「人は誰かに自分の事を知ってもらいたい」んだなぁということ。
こんな人見知りのわたしでも、素性を公開していない条件下ではあるものの、自分の事をこんなに書いて、誰かが読むかもしれないところに出しているなんて。
「ねぇちょっと聞いてくださいよ、わたしってねぇ、こういう人間なんですよ」
飲み屋のカウンターで隣に座った酔っ払いみたい。苦笑するしかないですね。

でも発信したいんだなぁ。
不思議。

誰かが聞いて(読んで)くれるのを心のどこかで期待している。
黙って聞いてくれるだけで『ここにいていい』って認めてもらえてる気がするからかな。「承認欲求」って言葉にすると、なんだか少し良くない印象が混じるけど、そのままの自分を受け入れてもらえると、やっぱりホッと安心する。

noteの「スキ」についてはどうなのか、と思われるかもしれませんね。
いい格好をしたいインスタと違って、noteの記事に関して(開始当初は気になっていましたが)今は思ったことを正直に書いて、ビンに詰めて海に投げ入れているような感覚なので、そこまで評価を貰えるものと期待していないところがあります。
まれに「スキ」をいただけたときは素直に「見つけてくださってありがとう!ご縁があって嬉しいです!」と幸せな気持ちになります♪

誰かに認めてもらえるのって、
純粋に嬉しいことだよね。
やっぱりわたしも、気にしないとか言ってるけど、認めてもらえるのをひそかに期待しているのでした。


きょうはここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまが、満足できる日々を送れますように!

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