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明るい未来を想う
ごきげんよう。
近頃スピリチュアルに足をつっこんでみている、しろひつじです。
日々悲観して生きるより、明るい未来に向かっている心持ちで暮らしていた方が、幸せもより早く近づいて来るのでは、と考えています。
無責任な楽観主義者とは、違うつもりです。一見似ているようだけれど、違います。
するべきことはちゃんとして、その上でその先にあるだろう幸福を、当然あるべきものとして、無条件に信じて過ごしながら待つ、という感じです。
わたしは最近『思う』に力があるんじゃないか、と考えています。
思念によって生じる力(パワー)の存在を信じてみる気になっているのです。
『思う』より『想う』の方が適切かもしれません。「そこにあるかの如く姿形をイメージする」状態を指しています。
「イメージすることで生み出される力」は、ふわふわした妄想ではなくて、馬鹿にできないパワーがあるのかもしれない。現代科学ではうまく説明できないからほぼ「なんの力も無いもの」にされているけれど、もしかしたら、なにかしらの効果を他に与えるパワーがちゃんとあるかもしれないぞ、などと考えています。
例えば「想うことによって、現実を変えることがある」のではないか、と。
現実を変えたいと思う時、良い方法があれば知りたい!と望みますね。
本屋に行けば、そんな願いに答えるように、いわゆる『引き寄せ系』の本がごまんと並んでいます。
ちょっと眉唾物かなって印象があって、あんまり真面目に読んだことがないので、良いとも悪いとも、言うつもりはありません。
わたしのボンヤリした印象では、神様とか天使とか龍とか、姿形の見えない方にお願いしたりする類が多いように思います。そして、望む状況をあるべきものとして引き寄せて、現実に手に入れるんですよね。わたしの考えていることも、ちょっとそれに近いかもしれないです。
日本の教育の仕方は、幼い時から「がんばらないと成功しない」とか「簡単にうまくいくわけない」とかいう「呪いか!」と突っ込みを入れたくなるような言葉で子どもを育てるところがありませんか?
わたしはそうでした。
親や先生に「ちゃんとできるかどうか心配だわ」とか「そういうことが出来る子じゃないから」とか、何かにつけ言われてました。
今思い返せば、呪われてましたね~。
先にそう言われてしまうと
できない自分が前提になります。
できない自分が想像できます。
そして、できない自分になっていることが多いです。
言いがかりでしょうかね。
以前こんな話をテレビで見ました。
「サーフィンを全くやったことのない人が、誘われてノリノリでサーフィンしたら、いきなり失敗なく乗りこなした。それは、彼は上手な人の出来てるイメージしか持ってなくて、出来ないかもなんて微塵も考えつかなかったから。彼の頭の中には楽しんで波に乗れる、うまくいく自分しかいなかったんだよ」
これ、とっても大事なことを気付かせてくれました。
悪い先入観って、考えも身体も縛り付けるのかもって思いません?
良い先入観で、考えや身体を操れるかもって思いません?
ならばわたしも、良い先入観を持ってしまおう、と考えたわけです。
来て欲しくない悪い未来も、知りたくない心配な情報も、気を抜くとすぐそばまですり寄って来る。
いやいや、そんな手には乗らないよ。
不安にさせられてたまるものですか。
想う力ではね返してやる。
大丈夫、きっとうまくいくよ。
もともとそうなるはずなんだから。
明るい未来が来ることを想おう。
きっと当たり前に訪れるよ。
今日はここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆様に、望んだ未来が訪れますように!