無心
ごきげんよう、しろひつじです。
わたしは昔から、ノートの端に落書きをする人です。
ノートの裏表紙から開ければ、1ページ丸々落書きで埋め尽くされていることもよくありました。
後ろから落書きにじわじわと侵食されていくノート。(勉強しろよ)
その落書きは顔だったり猫だったり具体的な物のこともありますが、抽象的な模様のことも多いです。
思い付くまま、延々描いてます。
連続した抽象的な模様でページが埋め尽くされている状態。
細々(こまごま)としたものがビッチリと。
でも
これは人に見せてはいけない。
偶然誰かの目に留まってしまうと相手は「うっ」と言葉を失ってしまう。
気まずい。
かなり気まずい。
見てしまったものの、それについてどう反応したものか、言葉を探していることがこちらからありありとわかる。
わかる、どう思っているのか。
「病んでる」「気持ち悪い」。
ま、客観的に見ると確かにそんな感じです。しかたありません。
だけど
本人は描きあげて満足しています。
描き遂げると、とてもすっきりするのです。
日頃のイライラや不満な気持ち、モヤモヤしたものを、ここに吐き出している自覚があります。
別におどろおどろしい模様を描いているつもりはないですが、まぁ、一種の念はこもっているのかも。
心に傷を受けたり、理不尽な思いをしたりするたび、それを描くことで昇華させることを無意識に狙っていたのかもしれません。
学生時代、人に見せるわけではない連続埋め尽くし模様のページは、なにかにつけ増えていきました。
(ちなみに上の絵は雰囲気が伝わるようにゆるく描きました。実際はこの軽く5倍は細かいデス)
時は流れ。
ある日、書店でその埋め尽くし模様によく似た絵が表紙の本が目に留まりました。「ゼンタングルアート」だと。
わたしの病んでいると思われる絵も
『アート』と名を付ければ『作品』になるらしいです。
なんだそれ。
無心で描くことで心の平穏をはかれるとか。
知ってたよ。やってたし。
自分のやっていたことが、人目を憚らずにしていいことだと認知されたのは悪くないですが、
『アート』というフィルターを掛けただけで偏見がひっくり返る感じは、
なんだか心にわだかまりができますね。
ちょっと、何を今更という気持ち。
ま、いいけど。
今日はここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまが、落ち着いた日々を暮らせますように!