モグラ革の手帳
それが日用品でも、稀少品でも、道具には何某かの物語が付きまとうものだから「モノ語り」という言葉が生まれ、モノを媒介とした造り手と使い手の双方が物語を持つことになり、その造り手という造物主からモノは此の世界を生きる魂を注ぎ込まれ、故意なのか、偶然なのか、たった一人の使い手の持つところとなって、ここからは使い手の数だけ、また新しい物語が始まることになる。だから、そのモノが、世に出た時代が古ければ古いほど、物語はまた面白くも、複雑にもなる訳で、例えば此処に、一冊の小さな手帳がある。大きな文具店か書店にでも行けば、取り立てて珍しくもなく販売されているその手帳の名前は「モレスキン」と言って、昔は「モールスキン」と呼ばれていたのだけれど、生産国の発音に倣って「モレスキン」と改められた経緯がある。つまり、その手帳は舶来の品で、今から百五十年ほど前、十九世紀の終わり頃にパリの街角で初めて造られた。「モレスキン」という風変わりな名前も、実は「モグラの革」を意味すると言われていて、ただ実際の手帳は、モグラではなく、撥水性に優れたオイルクロスで覆われて、ただ造られた当時、誰が言い出したのか、モグラの革に似ているという理由で「モレスキン」になったらしい。寡聞にしてモグラの革がどういう代物なのか、未だ見たことはない。
綴じられた造りの手帳としては、きっと世界で一番よく知られた手帳が、そのモレスキンで、実際、モレスキンだけを扱った単行本や雑誌もあるくらいだから、我が国でもお馴染みの手帳であって、今更、ゴッホやヘミングウェイにも愛されたとか言う逸話を持ち出さずとも、機能に魅了されるのか、品質を信頼してか、よく売れているようである。機能と言っても、特徴的なゴムバンドを巻いている辺りがモレスキンらしいと言えばモレスキンらしい佇まいで、表紙の裏に、紙で出来たポケットがある程度の、全くシンプルな造り、だから万人に好まれるのかも知れないけれど、ただそれだけの手帳としては、二千円近くもする高級品ではある。だから、その何の変哲も無い小さな手帳が、世界中で愛されているというのは、機能でも、価格でもなくて、そのモノ語り、十九世紀末以来の、数多の著名人に愛好されて来たという伝説(神話?)が、原価以上の付加価値をモノに与え、凡百の手帳をして代え難い魅力として、モレスキンをモレスキンたらしめている。
まだ若かった頃、普段使いの備忘録を求めて、そのモレスキンを選んだという実体験も、そういうモノ語りがあればこそ、穿った言い方をすれば、モレスキン社の販売戦略に乗せられたという話で、きっと世界中の愛好家たちも、そうやって、むしろ自ら進んで戦略に飛び込んで、愛好家になっている。それは「ライカ」だとか「アップル」、「ポルシェ」にも似た、どこか所有欲を刺激する、オーナーたることに自負がある商品であるとも言えて、ある意味、造り手と使い手の理想的な、愛好を超えた信仰にも近い心理が働いているようである。造り手は使い手の期待に応えるように、変わらない品質を市場へと継続的に供給し(それはやがて伝統となる)、使い手は熱烈な忠誠心によって、造り手の資本を支え、「モレスキン」も「ライカ」も「アップル」も「ポルシェ」も、そうやって生産行為を「創造」という高みへと昇華させたモノ語りを積極的に語って、使い手の心を掴み、離さず、取り込んで来た過程が、やがてすなわち「歴史」となる。
だからと言って、モレスキンが万能の手帳という訳でも全然なくて、これは世界中の愛好家たちが思い当たるはずの、万年筆のインクは裏抜けする、ゴムバンドはやがて緩んで締まりが無くなる、栞の紐が毛羽立って来る等、欠点は挙げればあるもので、ただ、ここで言いたいのは、それら欠点があってなお、その何の変哲も無い小さな手帳を、二千円近くも払って使い続けている市場があるという稀有な事実で、要は、モレスキン社の語るモノ語りに協賛し、欠点を許容する愛好家たちとの共依存関係(双方向の忠誠)がある。実際、造り手も、その辺りの事情は百も承知で、買ったばかりのモレスキンに差し挟まれた紙片に記載された「持ち主の個性の重要な一部になる」という殺し文句が、愛好家の心を鷲掴み、鷲掴まれた愛好家たちは、嬉々として真新しいモレスキンの最初の頁を開いて、仄かな緊張と共に、記念すべき一文字目を記すことになる。
今、机の上に載っている一冊のモレスキンは、一体、何冊目のモレスキンになるのだろう。インクが裏抜けするだの、バンドが緩くなっただの、ぶつぶつ言いながら、結局、十数年来の付き合いで、予備が無くなれば自然と文房具屋へと足が向く関係になっている。きっと、これからもずっと、モレスキンから離れることはないのだろう。絶対にこの機能が必要であるとか、一番安いからとか、そういう合理的な理由があって付き合うモノとの関係こそ、実は薄弱であるという逆説的な見方も出来て、より使いやすい機能を持った商品が開発されたり、競合品が特売で安くなっていたり、その時の風が吹けば、簡単に離れて行ってしまうのが機能本位、価格本位のモノ選びで、モレスキンの如く、不満もあれば、値段も高いモノだけれど、何故かまた選んでしまう、そういうモノには、造り手と使い手とを分かち難く結び付ける不思議な力が働いていて、言葉では言い尽くせない想いと信頼感が、物語を伝説に、伝説を神話にするのだろう。
モグラの革ってどんな革だろう、本物のモグラ革で造ってみれば面白いのに、そんなことを考えつつ、またインクが裏抜けして、ぶつぶつと悪態をつき、それでもモレスキンへと手は伸びる。定番という月並みな呼び方ではなくて、その欠点だらけの手帳には、「普遍」という価値を宿した古典の魅力が詰まっている。だからモレスキンは、アートになる。
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