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知的障害者の売春を通して考える「福祉の限界」 ~書評『みいちゃんと山田さん』(亜月ねね・講談社)
『みいちゃんと山田さん』(亜月ねね・講談社)は、2012年、新宿・歌舞伎町のキャバクラで働いている大学生の「山田さん」が、新たに入店してきた「みいちゃん」と出会い、ヤル気と元気はあるが漢字も空気も読めない彼女の言動に振り回されながらも、徐々に心を惹かれていく・・・という物語だ。
みいちゃんは知的障害があると思われる女の子で、同じキャバクラで働いている女性たちからは露骨にバカにされたり、「可哀想な人」扱いをされている。
接客中にグラスを割る、水をこぼす、お客の名前を間違えるなど、日々トラブルが絶えないが、なぜか売上は悪くない。店長や男性スタッフも、なぜか彼女をかばってくれる。
そうした状況を不思議に思っていた山田さんだったが、ある時、みいちゃんが枕営業をやりまくってお客を集めていたこと、お店の複数の男性スタッフやドライバーと関係を持っていたことを知る。
誰彼構わず関係を持つことはやめたほうがいい、と山田さんは忠告するが、みいちゃんはこう答える。
みんなみいちゃんのことバカとか可哀想って見下してるけど
エッチのときだけは対等に接してくれるんだ
「一人の人間として、認めてほしい」「対等に接してほしい」という、人間として当たり前の欲求を満たせる瞬間が、それ以外に無い、という現実。
知的障害のある女性たちが夜の世界に流れる背景には、男性客や男性スタッフが(極めて不純かつ身勝手な動機であったとしても)彼女たちの存在を必要としているという事実、そして彼女たちが(極めていびつな形であったとしても)彼らとの関係によって、家庭や学校では満たすことのできなかった承認欲求を満たすことができる、という事実がある。
夜の世界は、「今日もらえる現金」「今日泊まれる場所」「今日会える人」「今日やれる人」など、「今、この瞬間に自分を満たしてくれるモノ・人・場所」に至上の価値が置かれている。
「今、お金をくれること」「今、一緒にいてくれること」「深夜2時にLINEを秒で返してくれること」など、「身もフタもない事実」だけが正義になる世界である。
みいちゃんも、男性が「エッチのときだけは対等に接してくれる」という「身もフタもない事実」によって、救われている。
「身もフタもない事実」によって救われている、満たされている人たちに対して、きれいごとは一切通用しない。山田さんも、どうすればみいちゃんに社会常識や善悪を伝えることができるのだろうか、と悩んでいる。
それでは、みいちゃんのような女性に対して、福祉にできることは何もないのだろうか。
私は、「ある」と考える。
「身もフタもない事実」によって救われた人は、同じく「身もフタもない事実」によって、簡単に見捨てられてしまう。
枕営業で稼げるのは、ほんの短期間である。一度寝てしまえば、客は目的を達成した気分になり、来店・リピートしなくなる。枕営業は、万能でも何でもない。誰とでも寝る女は、最終的には、どの男からも愛してもらえない。これもまた夜の世界の「身もフタもない事実」の一つである。
福祉の強みは、本人の「今、この瞬間」のニーズを満たすことよりも、「明日以降もずっと続いていく人生」を、地に足をつけて生きていくためのサポートをすることにある。
「身もフタもない事実」の存在や効用を認めつつも、それらに対して決して迎合せずに、目先の利益の最大化ではなく、長期的な人生の質の向上を目指す。そして、「誰一人取り残されない社会をつくる」「すべての人に居場所と出番のある社会を実現する」といった「きれいごと」を掲げることを、決して諦めない。
本作の帯に「福祉の限界」という言葉が載っているが、福祉の強みは、夜の世界と異なり、自らの限界をきちんとわきまえていることだ。
夜の世界ではたらく人たちの仕事は、「期待させること」である。お客に「あわよくば、あの子(彼)と、あんなことやこんなことができるのではないか」といった期待を抱かせ続けることで、持続的にお金を稼ぐことができる。「期待に応えること」では決してない。
そのため、構造的に、自らの限界を示すことができない。
福祉の世界ではたらく人たちは、できないことを「できる」とは決して言わない。相談者や利用者に、不要な期待を抱かせない。しかし、福祉の枠内で提供できる支援やサービスを、確実に届ける。
夜の世界が即効性はあるが副作用の大きい「劇薬」だとすれば、福祉は遅効性だが副作用の少ない「漢方薬」のような存在だと言える。
みいちゃんの友人で、知的障害のある「ムウちゃん」は、万引きを繰り返して刑務所に入ることになったが、出所した後に福祉事務所につながり、売春を卒業することができている。
適切なタイミングで適切な支援につながることができれば、「身もフタもない事実」に救いを求めなくてもよくなる。
福祉には限界がある。「今、この瞬間」のニーズを満たすという点においては、夜の世界の風俗や売春には決して勝てない。しかし、自らの限界をわきまえているからこそ、それらに「負けない」ことができる。
夜の世界は、構造的に限界をわきまえることができない。そのため、夜の世界に「負けない」状態をキープしていれば、風俗や売春の側が時間の経過とともに吸引力を失うため、結果的に福祉だけが残ることになる。勝てなくても、負けなければいいのだ。
みいちゃんと山田さんの物語は、「夜の世界に負けない福祉」のあり方を考えていくうえで、重要な補助線になるだろう。
現在福祉の現場で働いている人だけでなく、これから福祉の世界に入ろうとしている人も含めて、多くの人に手にとってもらいたい作品である。