
「一億総夜職社会」を生き抜くために ~書評『歌舞伎町に沼る若者たち』(佐々木チワワ・PHP新書)~
本書『歌舞伎町に沼る若者たち』(佐々木チワワ・PHP新書)は、Z世代のライターである著者が愛憎渦巻く夜の世界の「搾取と依存の構造」を解き明かす一冊である。
「特殊な世界」「危ない世界」として見られがちな歌舞伎町の中で起こっていることは、決して他人事ではない。
「金がすべて」という売上至上主義、「見た目がすべて」という外見至上主義、自らの時間や身体を商品をして切り売りする自己資本主義、承認欲求を満たしてくれる相手や対象にすべてを捧げる承認至上主義、誰彼構わず「推し」と呼んでしまう推し万能主義は、夜職従事者だけでなく、現代を生きるすべての若者の価値観や消費行動に共通する通奏低音になっている。
「歌舞伎町に沼る若者たち」は現代社会の縮図であり、あなたや私の姿でもある、というのが著者の主張だ。
本書を読了した後に感じたことは、「本の著者も、夜の仕事と似たようなものかもしれない」ということである。本が売れないこのご時世、多くの著者が、「書く努力の5倍、売る努力をしろ」という勝間和代氏の名言を念仏のように唱えながら、営業中(仕事中)の様子から営業外(プライベート)の日常までをSNSでひたすら発信し、自らの知名度と好感度を高め、本の売上につなげることに必死になっている。
私自身も、Xのアカウント名の横に「『風俗嬢のその後』3/10発売」と宣伝文を入れて、応援消費や界隈消費を狙いつつ、SNS上での一挙一投足が本の売上につながるよう、地道に努力をしている。何を隠そう、この書評についても、「同じ夜職界隈の佐々木さんが拙著の新刊を買って、書評を書いてくれたら嬉しいな」という腹黒い計算がなくなくなくはない。
「本を書く」という仕事は、夜職同様、感情労働・肉体労働・アイデンティティ労働のすべてを兼ね備えた仕事であるが、書き下ろしの新書の場合、原稿料は1円もでない。刊行されても、本の売上のうち、著者に入るのはわずか10%程度。電子版でも25%程度だ。
一般の人から見れば、本の著者は「編集者という名のホストによって言葉巧みに踊らされ、タダ働きをさせられた挙げ句、売上の7~9割を搾取されているのに、プライベートを削り、自分を切り売りしてSNSでの販促に血道を上げている、可哀想な人たち」と映ってしまうかもしれない。ホス狂ならぬホン狂である。
ただ、我々ホン狂は、客観的にどう見えるかはともかく、主観的には極めて幸せな存在である。真夜中にライターズ・ハイに襲われ、「この切り口・表現は、いまだかつて誰も書いたことがないっしょ!」とハイテンションになってしまう。自分で自分の文章を読み返して「面白すぎる・・・」とため息をついてしまう。新刊の見本が届くたびに、一人でニヤニヤしてしまう。
ギャンブルに近い確率だが、実際に本が売れることもある。重版がかかり、ホスト(編集者)から歯の浮くような言葉で祝福され、全国紙に広告や書評が載り、Amazonランキングが二桁になり、読者の称賛を浴び、SNSで「いいね!」が大量に集まり、結構な額の印税が口座に毎月振り込まれる快楽を一度経験してしまったら、もう後戻りできない。
世間から「承認欲求モンスター」「目立ちたがり」「搾取されている被害者だ」といくら言われようが、「この世界の楽しさがわからないなんて、可哀想な人たちだな・・・」と逆に同情してしまう。
多様性の名の下、個人の趣味嗜好、それに基づいたコミュニティやマーケットが気の遠くなるほど細分化されている現代では、ホス狂やホン狂のような人たちは絶え間なく生み出され、その一部が社会問題になることもある。解像度の低い形で報道され、誤解やバッシングを生むこともあるだろう。
こうした状況下で必要なことは、現場の「搾取と依存の構造」を分析し、被害者や不幸を生み出さないために必要な提言をしたうえで、それでも「崖っぷちで踊り狂いたい」という人たちには、崖から落ちない範囲で暖かく見守る「ライ麦畑の番人」的なアプローチをとることであろう。
誰もが何かに「沼る」可能性があり、「沼らないと生きていけない」「沼らせることでしか生きられない」人たちが増えている現代は、「一億総夜職社会」と言えるかもしれない。
「沼る」当事者と「沼らせる」当事者、双方の気持ちや背景に寄り添いつつ、客観的なスタンスを崩さずに夜の世界の「搾取と依存の構造」を解き明かした本書は、「一億総夜職社会」を生き抜くためのガイブックになるだろう。