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「努力が足りない」のではなく「機能が足りない」 書評『貧困と脳』(鈴木大介・幻冬舎新書)

生活困窮者の支援に関わった人であれば、誰もが少なからず、相談者・利用者の言動に対して、「なぜ、そうなるのか」という疑問を感じたり、「話が伝わっていない」「噛み合っていない」と違和感を覚えたことがあるだろう。

私は風俗で働く女性の生活・法律相談事業の運営に約9年間携わり、1万人を超える女性と接してきたが、行政の窓口につなぐことや、福祉制度を利用する以前の問題として、普通の人にとってはなんでもないような会話・場面・手続きで躓いてしまい、そのまま身動きが取れなくなり音信不通になってしまう人を、数え切れないほど見てきた。

彼女たちの背景に、「約束を破る」「遅刻する」「だらしない」といった表面的な言葉では片付けられない何かがある、ということは、強く感じていた。

本書『貧困と脳』において、著者は、貧困当事者に共通する特徴の背景には、「不自由な脳」(脳の認知機能や情報処理機能の低下)の影響がある、と主張する。

脳の認知機能不全をベースにした疾患・障害には、「不自由な脳」ゆえに陥る共通の困難があり、医療的な診断の有無を問わず、貧困との間に明らかな因果関係がある。

一般で想像される「疲れ」と、当事者の抱える脳性疲労との間には、「走り続けて疲れたから歩く」と「走っていたら足がつってその場に倒れる、もう歩くことも困難」ぐらいの差がある、と著者は語る。

すぐに疲れる。しんどい。考えがまとまらなくなる。文字や人の言葉がわからなくなる。会話についていけない。スイッチが切れたように、動けなくなる。こうした困難が、本人でも理解・予測できないタイミングで、突然襲ってくる。

午前中にはすんなりとできていた作業が、午後には全くできなくなる「日内変動」や、昨日は1時間で終わった作業が、翌日は朝から夕方まで取り組んでいても終わらない「日差変動」が生じる。自分自身でも理解できない状況、コントロールできないタイミングで仕事を中断・延期せざるをえなくなる。

一方で、極度の脳性疲労状態であっても、身体的には普通に行動できたり、他の業務であれば何時間でも連続で遂行することができる場合もある。

こうした困難を抱える人たちは、通常の職場では「サボっているだけ」「戦力外」「優先順位のつけられない人」とみなされて、差別と排除の対象になってしまう。自分自身でも、どこまでが症状でどこまでが甘えなのかわからないため、他者にうまく説明することもできず、自罰感情を強めてしまう。

個人的には、著者による当事者としての体験に基づいた解説のおかげもあり、「不自由な脳」がもたらす様々な困難については、(一時的なものなのか、恒常的なものなのかという違いはあるが)誰の身にも起こり得ることとして理解することができた。「自分もそうかもしれない」「自分も、体調や状況によっては、そうなる時がある」と感じる読者も多いのではないだろうか。

SNSで、知的エリートであるはずの大学教授や弁護士などが、常識的にも倫理的にもありえない言動をして炎上する光景は、すでに日常茶飯事になっている。

極度の疲労や不安に襲われた場合、年齢や学歴、社会的地位にかかわらず、誰にでも「脳が不自由になる瞬間」は訪れる。

「不自由な脳」を持つ当事者が、健常者の脳を基準にした社会の中で働くことは確かに「無理ゲー」に近いが、「貧困と脳」の関係を健常者、そして社会に理解してもらうことは、決して「無理ゲー」ではないはずだ。

医療の世界では、医師が患者に対して「自己責任だから治療しない」という対応を取ることはありえない。「貧困と脳」の関係に対する理解が広まっていけば、福祉の世界でも、支援者が相談者に対して「自己責任だから支援しない」という対応を取ることは、ありえないものになっていくだろう。

一方、社会にはびこる自己責任論に引導を渡したとしても、当事者に内面化された自己責任論=自責と自罰の感情は、決して消えない。

どれだけ「病気が悪い」「障害が悪い」「社会が悪い」という言葉を投げかけても、「自分が悪い」と考えている当事者は救われない。「自分は決して悪くない」「自分でもできる」という自信を育むための成功体験、それをサポートするためのエンパワーメントが必要になる。

他責の論理=社会責任論を主張するだけでは、活動家は救われるかもしれないが、当事者は救われない。どれだけ社会の包摂力が高まっても、生きていく中で、自責の論理=自己責任と自助努力で解決しなければならない場面は、必ず残る。そこに寄り添い、本人の力を引き出していくことが、福祉には求められている。

「努力が足りない」のではなく「機能が足りない」人に対して、無理に自助努力を強いた先に待っているのは、自立ではなく、孤立である。著者の言う「世代間を連鎖するマルトリートメント環境に生きる人々の作り上げたアンダーグラウンドな社会」に取り込まれ、末端で切り捨てられてしまう人を増やすだけだ。

自立は一人で行うものではなく、みんなで支え合い、助け合いながら実現していくものだとすれば、緩やかな相互依存に基づく自立=共依存ならぬ「共自立」の実現をサポートしていくことが、これから福祉の仕事の中心になっていくだろう。

本書は、「共自立」を目指す当事者・支援者にとって、優しく背中を押してくれる一冊になるはずだ。

1月27日(月)に、本書のオンライン読書会を開催いたします。全国からのご参加、お待ちしております!


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