俳句の鑑賞《76》
季語:十薬(仲夏・植物)
地下茎で繁殖する多年生雑草の、十薬の生命力は半端ありません。冬に枯れ、姿を隠していても、春になると青々とした葉を出し、夏半ばには、白い総苞を開かせます。
例えば、建物の陰の、群れている十薬。歩いている作者の目には、まだ入っていません。歩みを進めれば、陰から突然、真っ白な十薬が現れます。
「花いっせいにわれを見る」、さぞかし驚いた作者でしょう。一瞬、「おっ」と両肩が上がった様が見えるようです。
この句に出逢ってからというもの、十薬の花が「顔」に見えてしまう私です。
季語:緑蔭(三夏・植物)
夏の明るい日差しのなかの、緑の木立の陰。それを存分に味わっている作者。
ふと、目を移せば、近くに朽ちた倒木があります。
生命に満ち溢れた木漏れ日のなかの、既に命を失った木。時間をかけて、これからもまた、より朽ちてゆくに違いありません。
ですが、一方で、その倒木は、何らかの新しい命の源、にもなっているのです。
今の瞬間と、悠久の時、命の循環、を噛みしめることのできる句であります。
季語:九月(仲秋・時候)
鏡に向かい合っている作者、外出の用意でしょうか。鏡に映っているのが「無音の樹」という措辞から、静かな室内を感じます。
九月、新しい学期の始まり。
まだ暑さも残ってはいますが、空に、風に、光りに、少しずつ秋の気配も混じります。恐らく、鏡のなかの樹々に、小さな秋を見つけた作者なのでしょう。
季語:柿(晩秋・植物)
盆栽が置いてある庭には、オレンジ色に満ちた柿の実が、たわわになっています。あたたかで明るい日差しの、柿日和。
盆栽の「こんな窮屈な鉢から出て、思いっきり伸びをしたいなあ」という声が聴こえてくるようです。
読み手の、くすっとした小さな笑い、相槌などもまた見えるようです。
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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