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俳句の鑑賞《62》


木枯しや石屋の墓石みな無銘

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.133

季語:木枯し(初冬・天文)

個人的なことになりますが、私自身、父を早くに亡くしたので(二歳になる直前)、ものごころつくかつかないうちから、東京、多摩霊園にある父の墓によく連れられて行きました。
霊園の中の墓石には、当然のごとく文字が刻まれていて、それが当たり前と思っていた私には、裏門の近くにある「石屋」には何も彫られていない、つるんとした墓石ばかりであることに驚き、母に理由を尋ねた記憶が、突如、この句から蘇りました。(当然、「石屋」も「墓石」知らない言葉でしたが)

大人でしたらよく理解できる光景ではあるものの、あの無銘の墓石の艶めきは、何ともいえず眼裏に残ります。
木枯らしの寒々しさ、もまた引き立つ景でもあります。


寒月や踏みやぶりたる水たまり

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.133

季語:寒月(晩冬・天文)

季語「寒月」、「かんげつ」という音の力もあって、凍てつくような澄んだ大気と、その中に強く光る月、そして、地上に注がれるキリリとした月光が見えます。

その月光が浮かび上がらせたのが、道上の「水たまり」。角度によっては、氷が張っているようにも見えるのではないでしょうか。
そして、それを「踏みやぶ」っている作者。その勢いがとても感じられ、恐らく、幾つかの水たまりを靴で割っているのでしょう。
飛び散る飛沫もまた輝いていたり。

そのような行動に至った作者の心情にも、別の物語が生まれそうであります。

(村上主宰が、句会の選句の際、「勢いが感じられる」と講評なさることがありますが、まさにそれを感じました)


坂暑し一人ひとりの独り言

津川絵理子句集「夜の水平線」P.149

季語:暑し(三夏・時候)

「ひとりひとりのひとりごと」音の響きが楽しく、また、「一人」「ひとり」「独り」の見た目も楽しき句。

坂道を、恐らく上っている、それぞれの人が、暑さと坂の勾配のきつさとに何やらぶつぶつと言っている様子が滑稽でもあり、同時に、その暑さがよく感じられます。


テーブルにふたつの会話百合匂ふ

津川絵理子句集「夜の水平線」P.150

季語:百合(仲夏・植物)

テーブルを囲む友人たち。作者を含めて四名の姿が、私には見えてまいります。そして、そこに繰り広げられている会話は、実はふたつ。二名づつ、違った話に花が咲いているのです。
よくある光景(特に女性に)ではあるのですが、そこに気付き、そこを切り取って句にしたことに大きな魅力を感じます。

そして、そこに香っているのが、百合の花。恐らく香りの特に強い、カサブランカやオリエンタルリリーではないでしょうか。
百合の花は、それぞれが別の方向を向いて咲いているので、そこもまた、そこに集まった人たちの、それぞれの個性を出しているようにも思えます。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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