俳句の鑑賞《78・最終回》
季語:蟬(晩夏・動物)
句集『遅日の岸』は、三連続の「蟬」の句で終わります。その一句目。
恐らく、夏休みの景でしょう。学校がある間は、大いなる夢をもって待ち焦がれる夏休みでありますが、始まれば、間もなく、暇な時間に飽きてしまう子どもたち。
自分以外の家族、とりわけ大人には、そう長い夏休みはありません。ですから、日常と代わり映えのない忙しさ。
その中で、少年にとっての午後は、ぽつねんとした感が最高潮の、蟬の声ばかりの世界なのです。
「ありあまる」のひらがなと「あ音」の繰り返しが、まのびしている様子を強調し、どうしようもなく怠惰であります。
また、上五の「蟬鳴いて」とさらりと流す措辞から、若干の突き放し、をも感じられます。
少年への、作者の冷静な眼差し。かつての自分の姿も、反映されているのかもしれません。
季語:蝉(晩夏・動物)
そして、こちらが最終句となります。
蟬が鳴いている木、その「うしろ」に広がるのは、夕茜。「一切」の見た目と音が、強く心に響き、残ります。
非常に絵画的。木は、広い深紅の空に、ぽつんと黒く浮かび上がり、そして、静けさの中に、蟬の声だけが際立ちます。
村上主宰がこの句を詠まれたのは、南風の前主宰、山上樹実雄先生が亡くなられた、2014年8月6日とのこと。まさに、山上先生への追悼句であります。
その後、現津川顧問と共に、南風の主宰になられた村上主宰。当時、三十五歳。
「蟬の木のうしろ」に広がる「一切の夕茜」はもしかしたら、蟬に慕われている「木」(作者)を支える、山上先生の心なのかもしれない、とふと思った私であります。
視点を、夕茜側に移してみれば、蟬の木は、茜色に燃えているに違いないのですから。
季語:極月(仲冬・晩冬・地理)
初見、濁音の多い厳しい印象の「極月」と、ひらがなであり柔らかい音の「ひらり」との対称性が、目に耳に印象的な句と感じました。
極月といえば、季語「師走」の子季語、一年の終わり、新年の準備をしつつも、クリスマスや忘年会、あれこれと行事にも忙しい月であります。
そのような時にいただく「肉」となれば、家族との、友人との、パーティかもしれませんし、大切な人とのディナーかもしれません。
「炎がひらりと乗る肉」、もしかしたらフランベ?もしかしたら、火への炙り肉?いずれにせよ、とても美味しそうです。
一年の終わりを大切に過ごす、ある意味何気ないことを、このように個性的に詠まれたことに、驚きを隠せません。
季語:オリオン(三冬・天文)
星座としての狩人オリオンは、腰のあたりに三ツ星を並べ、その上、右肩と左肩に当たるところに明るい星、を従えています。
そのようなオリオン座が、時間とともに、東の空から南の天中、そして、西の空へと大きく弧を描きながら渡ってゆく様を、「オリオンの広き胸ゆく」と表現、なんとダイナミックで詩的なのでしょう。
作者は、晴れ渡った冬の夜空をわたりゆくオリオンをしばし眺め、そして、西に沈んだ後には、東の空に太陽が顔を出し、間違いなく「明日も晴」と思ったのでしょう。
この句は、句集『夜の水平線の』最終句でもあります。
オリオンは、水平線上を渡ったのかもしれません。そして、句集を読んだ読者ひとりひとりの「明日も、きっと晴」、と作者は願ったに違いありません。
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昨年2023年6月9日から始めた、毎週金曜の朝の、南風・村上鞆彦主宰『遅日の岸』、津川絵理子顧問『夜の水平線』の句の鑑賞も、今回が最終回となりました。
約一年半にわたり、私の拙い鑑賞を読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
そして、Xのポストにて、毎回感想をくださった村上主宰。本当にありがとうございました。一回一回のお言葉が励みとなり、続けることができた、といっても過言ではありません。
両句集、とにかく好きな句が多すぎて、まずは毎回の選句に苦労し(笑)、また、鑑賞では、普段俳句にはあまり親しみの無い noterさんにもわかりやすく、を心がけたことで、改めて自分の勉強にもなりました。
非常に有意義な年月を過ごすことができました。
今、書き終えて、ほんの少し、さみしくもあります。
ですが、この鑑賞をしたことで、私は、南風という結社に出逢え、所属していることにますます誇りを持つことができました。
俳句を学ぶ身としては、尊敬できる師がいること、このうえなく幸せなことと思います。
今後も、こつこつと地道に謙虚に、俳句を学んでまいりたいと思います。
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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