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俳句の鑑賞《72》


あくびまた身を出てゆけり冬青空

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.152

季語:冬青空(三冬・天文)

あくびと言えば、初夏の欠伸の句、てのひらにかくす欠伸や新樹光の句をつい思い出してしまう私ですが、今回のあくびは、冬の季節。
しかも、てのひらにかくすような楚々とした欠伸ではなく、全身からほとばしるようなあくびを、しかも、続けてするという大らかさ。

「あくびまた身を出てゆけり」の措辞、冬の青空を見上げながら、両手を広げ、それは気持ちよさそうにあくびをする景、心身ともにリラックスしている作者が見えます。
もしかしたら、小春日和のような草原で、ねころび、うたた寝をしていたのかもしれません。


寒梅の日向に人の入れ替はる

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.153

季語:寒梅(仲、晩冬・植物)

梅といえば、春を代表する花でありますが、冬のうちから花をつける早咲きの梅もあります。

寒梅の咲いている場所に、冬の日がさしています。恐らく、風もあまりなく、穏やかな日なのでしょう。盆栽の梅、とも考えられますが、「寒梅の日向」の措辞から、ある程度大きな木、なのではないかと想像します。

ふと、神社の梅が浮かびました。
代わる代わるに観光客がその前で記念写真を撮っているのです。太宰府天満宮の「飛梅」のような景であります。


柿の花仰ぐ今年は子を抱いて

津川絵理子句集「夜の水平線」P.176

季語:柿の花(仲夏・植物)

前年までは、自分ひとりで見上げ、無事に柿の花が咲いていることを確認していた作者。ですが、今年は、我が子を抱きかかえています。

「あれが柿の花よ」と優しく語りかける作者。柿の花は目立たない花なので、赤ん坊にはわからないかもしれませんが、ふたりして木を仰いでいる景は、とても微笑ましい。
もしかしたら、ふたりの姿を見守るご家族もまた、いらっしゃるのかもしれません。
秋になり、色づく柿の実になるころには、抱いている赤ん坊も、成長していることでしょう。


飼鳥に命日ありぬ梅雨の月

津川絵理子句集「夜の水平線」P.176

季語:梅雨の月(仲夏・天文)

以前、『夜の水平線』のp.146、p.147、次の二句を鑑賞しました。

夕虹や紙の棺に木の墓標
葉桜やもう鳥をらぬ籠洗ふ

恐らく、今回のこの句は、その飼鳥のことだろうと想像いたします。
もしかしたら、同じ年の月命日かもしれませんし、一年後、または、数年後の、まさに命日なのかもしれません。

夜、空に見え隠れする梅雨の月。いまだ、作者の心の中、在りし頃の飼鳥の姿が見え隠れしているのでしょう。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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卯月紫乃
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