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俳句の鑑賞《72》
あくびまた身を出てゆけり冬青空
季語:冬青空(三冬・天文)
あくびと言えば、初夏の欠伸の句、てのひらにかくす欠伸や新樹光、の句をつい思い出してしまう私ですが、今回のあくびは、冬の季節。
しかも、てのひらにかくすような楚々とした欠伸ではなく、全身からほとばしるようなあくびを、しかも、続けてするという大らかさ。
「あくびまた身を出てゆけり」の措辞、冬の青空を見上げながら、両手を広げ、それは気持ちよさそうにあくびをする景、心身ともにリラックスしている作者が見えます。
もしかしたら、小春日和のような草原で、ねころび、うたた寝をしていたのかもしれません。
寒梅の日向に人の入れ替はる
季語:寒梅(仲、晩冬・植物)
梅といえば、春を代表する花でありますが、冬のうちから花をつける早咲きの梅もあります。
寒梅の咲いている場所に、冬の日がさしています。恐らく、風もあまりなく、穏やかな日なのでしょう。盆栽の梅、とも考えられますが、「寒梅の日向」の措辞から、ある程度大きな木、なのではないかと想像します。
ふと、神社の梅が浮かびました。
代わる代わるに観光客がその前で記念写真を撮っているのです。太宰府天満宮の「飛梅」のような景であります。
柿の花仰ぐ今年は子を抱いて
季語:柿の花(仲夏・植物)
前年までは、自分ひとりで見上げ、無事に柿の花が咲いていることを確認していた作者。ですが、今年は、我が子を抱きかかえています。
「あれが柿の花よ」と優しく語りかける作者。柿の花は目立たない花なので、赤ん坊にはわからないかもしれませんが、ふたりして木を仰いでいる景は、とても微笑ましい。
もしかしたら、ふたりの姿を見守るご家族もまた、いらっしゃるのかもしれません。
秋になり、色づく柿の実になるころには、抱いている赤ん坊も、成長していることでしょう。
飼鳥に命日ありぬ梅雨の月
季語:梅雨の月(仲夏・天文)
以前、『夜の水平線』のp.146、p.147、次の二句を鑑賞しました。
恐らく、今回のこの句は、その飼鳥のことだろうと想像いたします。
もしかしたら、同じ年の月命日かもしれませんし、一年後、または、数年後の、まさに命日なのかもしれません。
夜、空に見え隠れする梅雨の月。いまだ、作者の心の中、在りし頃の飼鳥の姿が見え隠れしているのでしょう。
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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