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俳句の鑑賞《67》


衣更へて駅の鏡のなか通る

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.142

季語:衣更(初夏・生活)

現代の日本の生活において、衣更を一番意識するのは、やはり制服の着用義務のある学生や職業人でありましょうが、例えばサラリーマンなどのスーツの生地の変化、或いは、近年ですと、クールビズ、もそのひとつかもしれません。
いずれにせよ、身も心も軽くなる初夏であります。

さて、作者は、衣更えをした日、駅に設置されたいくつかの鏡の間を通ります。それらの鏡に映ったのは、夏の装いの自分。その姿に、思わずハッとしたのかもしれません。昨日までとは違う自分をそこに見出し、今日という日を、新たな気持ちで過ごす覚悟も、また芽生えたように思えます。


てのひらにかくす欠伸や新樹光

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.143

季語:新樹(初夏・植物)

瑞々しい若葉をつけた初夏の樹木、その木に当たる日の光、或いは、枝間から差し込む日の光は、道や街を明るく引き立てます。

そのような爽やかな光のなか、作者は、ふと眠気を感じ、思わずてのひらで口を覆うわけですが、「かくす」という措辞が、なんとも可愛らしく、また、作者のお人柄も感じられ、微笑ましく思います。
きらきらとした無垢な明るさのなか、すこし気恥ずかしい作者なのかもしれません。


寒晴や後れ毛のなきバレエの子

津川絵理子句集「夜の水平線」P.164

季語:寒晴(晩冬・天文)

バレエのお稽古に通う女の子は、ひと目でわかります。あの、きりりとまとめ上げたシニヨンヘア。「バレエシニヨン」という呼び名もあるそうです。
特徴は、まさに、一本の後れ毛すらもない撫でつけ、ではないでしょうか。

冴え冴えと澄み渡った、寒晴の空と空気感。バレエシニヨンの女の子の輪郭も、また際立ちます。そして、女の子は、寒さも気にせず、溌剌としていることでしょう。
しばし見惚れた作者の視線、も感じられますし、読み手の私の背筋も、すっと伸びてまいります。


黒豆の沈む一夜や春隣

津川絵理子句集「夜の水平線」P.165

季語:春隣(晩冬・時候)

黒豆を煮るときには、まず、豆を6時間から8時間くらい水に浸して、水をしみ込ませ、ふっくらとさせる必要があります。この行程がとても大切。

黒豆を自ら煮ることは、大抵は、お節料理の用意で年末に行う場合が多いように思いますが、季節は、晩冬。恐らく、黒豆が大好きな御家族がいらっしゃるのでしょう。
その方のために、作者は、夜、就寝前に黒豆をさらっと洗い、水に浸します。
たっぷりの水のなかで、黒豆たちは、水を吸い、そして、その水は徐々に黒くなってゆきます。黒豆は、まるで、水に沈み込んでゆくようであります。

目覚めた朝、艶やかにふくらんだ黒豆を想像しながら、眠りにつく作者。春は、もうすぐそこまでやってきています。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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