俳句の鑑賞㊸
季語:梅雨に入る(仲夏・時候)
「遅日の岸」では、時折、「握る手」や「拳」の景の句が登場いたします。
これらの両句に比べると、吊革を握る拳は、大人びた拳、のように私には思えます。
そして、敢えて「しづかな」と形容していることで、逆に、しっかりとした信念を心に秘めている、ようにも。
梅雨に入った日の朝の景、しづかな闘志をもって会社に向かう姿の作者が見えます。
季語:梅雨明け(晩夏・時候)
人ごゑに揺れ、と連用形で余韻を残す、切れ。何が揺れているのだろう、と思えば、それは、梅雨明けの水たまり。
私は、校庭、或いは、地域の公園の水たまりを想像いたしました。
恐らく、その年は雨の多い、長い梅雨だったのではないでしょうか。漸くの梅雨明け、そしての、青空。
子どもも大人も、一斉に梅雨明けの地面を楽しんでいるに違いありません。遊ぶ声、他愛のないお喋り、などなど多くの楽し気な声が聴こえてまいります。
人ごゑに揺れ、という淡々とした措辞が、また楽しくもあります。もしかしたら、水たまりも喜んでいるように、作者には見えたのかもしれません。
季語:春を待つ(晩冬・時候)
鍼灸院・整体院など、東洋医学系の場所によく貼ってある「経絡図」。確かに、手足がとても長く見えます。
身体の疼痛は、寒い時期には、より痛みを感じたりもいたします。作者は、そんな痛みを抱えつつ、その経絡図を見ながら、正に春を待ちわびているのかもしれません。
ふと、
手相図の線みな太し冬あたたか
を想い出したりもいたします。
季語:寒明(初春・時候)
寒が明ける=節分の頃の雨の粒を、機関車が弾いています。
「膚」という措辞から、まるで塗りたてのような、埃に塗れていない艶めいた機関車が見え、同時にその鉄の塊が、春の季節になったとはいえ、十分に寒さの残っている様子をよく表しているように思います。
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「遅日の岸」より、村上主宰ご自身の「自選十句」を、YouTube 「ハイクロペディア」で順に見ることができます。
第三回は、
第四回は、
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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