俳句の鑑賞⑬
季語:旱(晩夏・天文)
もう何日も雨の降らない、旱。場所によっては川なども涸れ、農作物への被害が深刻になることもあります。
そんな旱の道に、一本の麦が落ちているというのです。
私は、その落ちている麦がどのような状態の麦なのか、考えてみました。
完全に乾いてしまっている麦でしたら(土の上では目立たない?とは思いつつ)その麦への寂しみが生まれます。
ですが、もし、まだそれほど乾いていない麦でしたら、旱がもっとひどくならないうちにと、前日にでも早期の収穫をした麦だと思うのです。
まだ大きくは実らずとも、取り敢えず収穫されたその他の麦たちに、ほっと胸を撫でおろすことができます。
農家の方々の様子や想いなどへも、物語の広がる写生句と思います。
季語:山霧(三秋・天文)
登山の最中に霧が出てくると、かなり気持ちが動揺いたします。
すうと薄く消えてくれたらいいのにな、と願いつつ、でもどうやらその霧はどんどん深くなって、こちらに迫って来ている模様。
そんなときの登山者は、恐らく、「これはまずいぞ」と眉間にしわがよっているに違いありません。
その眉間の様子を、眉根かな、の下五の余韻で表すという!
思わず、うまいなあ!と声がでてしまいました。
季語:韮の花(晩夏・植物)
その青年は、恐らく恥ずかしがり屋なのでしょう。ともに歩いていても、あまり話の弾まない往路。
ですが、段々と打ち解けてきて、帰路はよく話すように。
そして、その道々には韮の花が咲いている。
それほど目立たない、でもよく見ると、星の形をした小さな花の集合体の韮の花。白と緑も美しい花です。
繊細だけれど素直な青年の姿と重なるようであります。
季語:加茂茄子(晩夏・植物)
京野菜の加茂茄子、その姿はまん丸です。そして、その様子は、まさに「はちきれそう」!
普通の茄子や、長茄子でしたら、顔を映すことはできないでしょうが、この加茂茄子ならばできそうです。
太陽の光のあたった、てかてかの加茂茄子に映る顔、茄子も人も元気いっぱいです。
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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