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「南風・九月号」を読む。

「南風・九月号」より、好きな句、気になる句。
(句順は掲載順、*=特に好きな句)


村上主宰「かはる」十句より

十薬のその一弁に蕊の影*

傘ひらく音に鳥たつ青葉かな*

風吹いてかはる信号立葵

青柿の青梅ほどが落ちてをり*

日焼け車夫見習ひ車夫を乗せて曳く



津川顧問「航跡」十句より

道訊かれやすし草笛よく鳴れり

古着屋の服の肉色走り梅雨*

梅雨茸の笠の穴よりわらひ声*

雄蕊みな摘まれ葬の百合となる*

鳳蝶航跡は早や潮に消え


「雪月集」より(敬称略)

掌に蝶止まらせてゐる不安
 小野 怜

こぢんまりと生きて今年の衣がへ
 中村君永

にはとりの声の汚るる西日かな
 岩渕晃三

一斉に走る舟虫「鬼が来た」
 井手千二

箸割って青竹の香や夏料理*
 西野晴子

一脚のベンチが樹下に痩せて夏至
 越智哲眞

夜の部へ少し間のある祭鱧
 藤川喜子

語りつつ袖くしゃと折る百日紅
 阪本道子

一人居の自由不自由水中花
 上村昌美

カクテルの底の爆弾さくらんぼ
 池之小町

口笛のやうに細れり秋の川*
 大高松竹

親知らず抜いて立夏の卒寿かな
 武田佐自子

正面に海六月のブーケトス
 田村紀子

打水や開け放ちある駐在所
 福本葉子

清流に梳られて藻が咲けり
 福山千代子

私だけホームでパセリ食べるのは
 河田陽子

川巾をせばめて葦の茂りかな
 𠮷村冨恵

砂まみれ日まみれの髪洗ひけり
 赤川雅彦

水打つや臨月の腹濡らしつつ*
 帯谷麗加

万緑の入口に立つサキソフォン
 星野早苗


「風花集」より(敬省略)

日盛りや鯉滑り越す鯉の背
 日野久子

幼鳥の声に暮れゆく鵜の一樹
さび色の花の全き泰山木*
 桑原規之

百合よりも白し棺の人の頬
 深水香津子

捨苗の黄ばみ始めてゐたりけり*
 岡辺 博

手に残るどくだみの香や夕ごはん
 寺井鈴代

氷水蓮の葉裏の陽に白く
 若林哲哉

麻服の皺あたらしき男かな*
 中村幸子

はたらいて紫陽花は夜の花と知る
 板倉ケンタ

ピザ焼くる間に睡蓮の開きたり
 館 ゑみ子

ピザ釜もピザも手造り夏来る
 原 隆三郎

頂上は一畳の岩バナナ食ふ*
 岡原美智子

青梅の坂ころげくる立ち話
 吉田泰子

両手あげ迎へられたる夏館
 中島恵子

マネキンの指先の反り街薄暑
 越智佳代子

声変りする子しない子衣更
 東 尚道

千年の楠の洞より夏の蝶
 臼井淳子


「南風集」より(敬省略)

アガパンサス卒寿の母とけんくわして*
影にかげ重ね蓮の葉ゆれにけり
 佐々木千賀子

髷を結ふための長髪夏燕
六月の牛の尾が打つ牛の尻*
 延平昌弥

六月のうつぼかづらのそよぎかな*
 梅田実代

人形を持たぬ手を引く日傘かな
 大熊光汰

せがまれて母も跣足となる砂場かな
知恵の輪に遊ばれている暑さかな*
 加藤 修

六月の風にあくびをひとつ混ぜ*
 五月ふみ

朴の葉に包む白飯夏来る
 横田朱鷺子

夕薄暑運転席より煙草の手
 市原みお

百合の香のすでに腐臭の混りたる
 赤城嘉宣

眠れぬ夜眠らぬ薔薇のかをりけり*
 長谷川洋子

古里は墓も蜜柑の花の中
 土井常寛

鮎菓子の簡単なかほ夕涼し*
バレエ着の背中涼しき骨ふたつ
 ばんかおり

献血をすませ心太すつぱい
 両角鹿彦

ジャスミンの圏外に来て真水飲む
 野村茶鳥

日捲りに涼しき朝の来てをりぬ
 山中宏子

峰雲や校長室の帽子掛 
 水野大雅

夕厨ともしび色の枇杷ふたつ*
 横田裕子

半島を北へと走る夏の雨
 丸山貴未子

花束のように手わたす茸かな*
 鬼糸巻マンタ


「摘星集・兼題、吾亦紅」から

みづうみに日のもどりけり吾亦紅
 宮本 菫

記憶より川幅狭し吾亦紅
 鈴木隆三郎

大人にも絵本の時間吾亦紅* 
教壇も教卓も木や吾亦紅
 市原みお

吾亦紅また間引かれしバスの便
 窪見れい

吾亦紅風に牧場のにほひして*
 青居 舞


     ・・・・・

卯月紫乃 載せていただいた句

「南風集」
南十字星ナミブの砂の鎮まりぬ
梅霖や動かぬままのガスメーター
すててこの干されてゐたる暗渠かな
犬枇杷の固く色づく行き止まり

「摘星集・兼題、吾亦紅」
積まれたる牧草ロール吾亦紅
(主宰より、量感のあるものと吾亦紅との対比、との評)


     ・・・・・

今回の南風誌で、一番心に残ったのは、
「南風集」(会員の句)佐々木千賀子さんの一席句

アガパンサス卒寿の母とけんくわして


村上主宰の講評は以下のとおり

 近年、アガパンサスの花をよく見かけるようになった。歳時記にはまだ入っていないこの洋花を、さてどう詠むかと思案するのが常だが、右の句を見て、こう来たかと膝を打った。「けんくわ」と柔らかな表現だから、些細な言い合い程度だろう。まだまだ意気軒高な「卒寿の母」がなんともめでたい。勢いよく伸びた茎の先に溌剌として咲くアガパンサスの花がよく合っている。

南風9月号 P.40より引用


今後、村上主宰が評するような佳句が多く詠まれたならば、「アガパンサス」が季語として認められる日も、そう遠くはないように思います。

やはり、自ら湧き出た句は、強いなと思いますし、この柔軟な発想を、私も大切にしたいな、と思いました。
そして、このような新しい句を認めてくださる「南風」という結社にも、ますますの魅力を感じました。

いただいたサポートは、次回「ピリカグランプリ」に充当させていただきます。宜しくお願いいたします。