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俳句の鑑賞㊻


石ころは常の貌して花明り

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.94

季語:花明り(晩春・植物)

花明り、という季語、とても美しいと思っています。桜の花、とくに満開のソメイヨシノは、まるで雪明りのように白く浮立ち、夜になってもその存在感は際立ちます。

そのような特別感のある花明りの下においても、そこに転がっている石ころは、「常の貌」をしていると感じる作者。恐らく、いつも通っている道の、いつも視界に入っている石ころなのでしょう。
この冷静な眼と、「貌」との表現から、特別に美しい花明りの季節にあってでも、自分自身をしっかりと省みている作者を感じます。

非常に村上主宰らしいスタンスだな、と思います。


花冷えの鏡中に髪切られゆく

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.95

季語:花冷え(晩春・植物)

花冷え、もまた美しき季語であります。
桜が咲き、すっかり春だと思っていると、思いがけなく寒さがもどってきた日。その寒さは、少し緩んだ身と心に応えます。

そんな中、髪の毛を切りに来た作者。見えるのは、鏡の中の自分の様子であります。
「鏡中」の音と、「切られゆく」というスピード感が「花冷え」と響き合います。淡々と自分を他人目線で見ている感じが、一句目の冷静さとも似ていて、とても惹かれます。


母の日や砂州を消す波いちまいづつ

津川絵理子句集「夜の水平線」P.107

季語:母の日(初夏・生活)

砂州、といえば、個人的には鹿児島指宿の「ちりりんロード」、小豆島の「エンジェルロード」の景を思い出します。
満ち潮に消えていく砂州の景は、とても見ごたえがあります。

そして、砂州を消す波いちまいづつ、の措辞、砂州が消えていく様を見事に再現、と感動いたしました。とても詩的でもあります。
取り合わせの季語は、「母の日」。母と娘との心に残る風景であります。


子役ひとり立たされてゐる夏野かな

津川絵理子句集「夜の水平線」P.107

季語:夏野(三夏・地理)

映画のロケーション現場でしょうか。
ただひとり「夏野」に立たされている子役。その静かな景に、夏草の茂っている様子、降り注ぐ夏の太陽、草をなびかせる風、などが見事に見えます。
単純でありながら、とても力強い御句であります。


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「遅日の岸」より、村上主宰ご自身の「自選十句」を、YouTube 「ハイクロペディア」で順に見ることができます。

第九回は、

鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白 村上鞆彦
「ハイクロペディア」内では、
せきれいがとぶぱつと白ぱつと白

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.128


最終回は、

蝉の木のうしろ一切夕茜 村上鞆彦

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.165


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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