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趣味と生きがいの違いは雑味の粒。
こんにちは。Siroです。
今回は、趣味と生きがいの違いについて書いてみたいと思います。
新たなことに挑戦してみると、結局しなくなるものと、趣味になるもの、そして “せずにはいられない くらい夢中になるもの” に分かれていくような気がします。
できるなら、夢中になれるものに出逢いたいな思っている方は、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
今回、どうすればそういうものに出逢えるのか光の存在に聞いてみることにしました。
*光の存在とは、あることをきっかけに対話するようになった目に見えない存在のことです。今後もたびたび登場することになります。出会った経緯を文章にするとかなり長くなるので、いつかきちんと本にまとめられたらと思っています。
まず、趣味と生きがいとはどう違うのでしょうか、とメッセージを送ってみました。すると、
“趣味も 生きがいも どちらも美しい無垢な光です“
と、応えが返ってきました。
”ただ、趣味については、少し雑味のような粒も混じっています“
と、続けました。そして、
”雑味のような粒とは、誰かの視線を意識した動きです。
なにかをはじめたばかりのときは、ある程度含まれてしまいます。
しかし、その楽しさに気づいていくと、徐々に薄れていきます。
やがて、雑味のような粒はなくなり、純粋な光を放つようになっていきます。
その姿は美しい無垢な光で、すべてとつながっているように見えます。
それが“生きがい”をしているときの光の状態です“
と、続けました。
今回は、かなり短い内容ですがシンプルで良いなと思ったので書いてみました。少しでも誰かの役に立つ内容になっていれば嬉しいです。
Siro。