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社会の荒波は、研磨のようなもの。

こんにちは。Siroです。

皆様は、社会の荒波というと何をイメージしますか?


わたしは、たくさんの方々の価値観の波の中で、自分自身が研磨されていくようなイメージがあります。

いままで自分自身が当たり前だと思っていた価値観を、いろんな方の価値観と 擦り合わせていく中で、少しずつ自分というものが見えていく。

ときには、とても痛いしツライけれど、その研磨の中で自分だけの輝きを見つけられるような気がしています。


今回は、社会の荒波を光の粒の視点で書いてみたいと思います。


まず、ひとの姿を光の粒の視点で捉えてみると、体の中心から放射状に広がる 光の粒の流れが見えます。

たくさんの方々と接しながら大きく物事を動かしている方は、この光の粒が勢い良くあらゆる方向に向かっています。

その様子は、原石を研磨する様子に似ています。

本来の美しい光が、全方位に勢いよく回旋し研磨され、輝きを増していきます。

やりがいを感じながら働いている方は、こんな感じでさらに輝いていきます。

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一方で、社会の荒波の中で摩耗してしまう方もいます。

誰かの価値観に振り回され、無理やりそれに合わせようとするとき、粒の流れに摩擦が生まれ、徐々に色合いは薄くくすんでいきます。

外観としては、目が曇ってきて体が重い感じでボーッと何を見るでもなく視点が定まらなくなっている様子です。

もはや原石は削りとられて無味乾燥した感じです。


ただ、原石と違ってひとの場合は、一旦削りとられてしまったたように見えても十分な休息をとり、愛に包まれることで、また光が無限に湧き出してきます。

社会の荒波にもまれて無味乾燥した感覚になっている方々は、十分に休んで愛に触れてほしいなと思います。

ちなみに、ひとの愛だけではなく、自然の愛も十分効果的です。

少し抽象的な内容になってしまいましたが、誰かにとって役に立つものになっていれば嬉しいです。

                                                                        Siro。


 

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