万年筆とデスクペンの思い出
外国の映画を観ていると、万年筆で手紙を書くシーンを見かけます。便箋にアルファベットを流れるように刻む万年筆には、どこか惹かれる魅力がありました。英文を筆記体で書いている自分を想像すると、単に文字を書くための道具以上の価値があるように思えました。高校生の頃、そんな憧れだった万年筆は非常に高価なもので、文字を書く道具はいくらでもあるのに、万年筆だけは別格の存在感でした。社会人になって、初めて万年筆を使ったとき、アルファベットを上手に書くことができず、戸惑った記憶があります。文字の形ではなく、映画で観て感じた文字の美しさや力強さを上手く表現できなかったのです。筆圧を変化させると文字の太さが微妙に変わり、ペンを走らせるスピードの違いで文字と文字の繋がりが変化してしまうのです。自分の思いを文字や単語、英文に込められる魔法の道具が万年筆であり、魔法の道具として扱うには修業が必要ということなのでしょう。鉛筆やボールペンの文字にはない独特の世界が万年筆にはあるのです。
日本語を多用する日常では、万年筆を使う機会があまりないように思えます。日本語で使用する文字は多種多様で、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字、記号など、種類の異なる文字が入り混じった文章になります。大きな文字で文章を作るときは非常に良いのですが、細かな文字で書類をまとめるときには画数の多い漢字が潰れてしまい、万年筆の良さが活かせないのです。そんな問題を解決する文房具がありました。「デスクペン」と言われている事務用の万年筆です。価格も手頃で、細かな文字も書ける優れものです。公文書も電子化され、それを使う機会はほとんど無くなってしまいましたが、若い頃は今思うと信じられないくらいの文字を手書きで書いていました。特に通知票や調査書などの他人を評価する重要なものは、限られた文字数で如何に正確に表現するか、下書きを何度も書き直したものです。いざ清書となると、失敗は許されないプレッシャーと45人分のコメントを書き上げる遠い道のりに氣が遠くなったものです。下書きをしても清書で書き損じることもよくあります。それも修正可能なミスに抑えなくてはいけません。一つの作品を仕上げるように、モチベーションと集中力を高めて一氣に書き進めます。そのとき、デスクペンは強い味方になってくれました。小さな細かな文字に魔法をかけられたのです。一文字、一文字、縦線と横線に変化をもたせ、ペンを滑らせるスピードを調整しながら、書き込む文章に思いをのせます。文字の美しさはもちろん、枠内に書かれた文章全体に美しさがあるか、それが問題でした。美しさは人を引き付けます。自分の書いたコメントを真剣に読んでもらうには、美しさはなくてはならなかったのです。同じデスクペンでも書き味は全然違います。お気に入りの1本に出会った時は、飛び上がるほど嬉しくて本当に大切に使っていました。
デスクペンという名前を覚えたての頃、同僚の先生が「ディスクペン貸して」と言ってきました。円盤状のペン???と首を傾げていると、「それそれ」とデスクペンを指していました。和製英語の商品のネーミングは、面白いものです。そもそも、デスクペン自体、変なネーミングですよね。机のペンですから。こんなことを書きながら、ちょっと懐かしい「ピコ太郎」を思い出したのは私だけでしょうか。” I have a pen. I have a desk. ugh! Deskpen!! ” 何気なくペン立てにあったデスクペンが目に止まったので、この文章を書いていますが、これも何かの導きでしょう。カートリッジを替えてもインクが出てきませんが、久しぶりにメンテナンスして何か書いてみようかなと思います。そうだ!最近、勧められた「宇宙へのお願い」をデスクペンで書いてみよう。愛用のデスクペンは、今、どこに行ったのだろうか・・・。