見出し画像

「またね」

 早いもので、妻を亡くしてから2年が経ちました。三回忌を迎えると不思議なもので、悲しみは癒されています。会いたいと思うこともありますが、それは叶わぬ夢と納得できるようにもなりました。昨夜、出会いからの思い出を辿って、その月日の長さを実感しました。出会ったころ、転勤で遠距離になったころ、一緒に暮らし始めたころ・・・いろいろなことがありました。遠距離になったころは、会えないけれど、毎日電話でやり取りをしていました。特別な話題などなくても、声を聴くだけで心が温かくなりました。当時は携帯電話がなかったので、電話で話せない日は、今は懐かしのFAXで連絡し合いました。FAXが届いているとワクワクしたものです。手書きの文面だけでなく、似顔絵も添えてあったりすると、知らずに微笑んでしまう自分がいました。現代風に言えば、電子メールの顔文字・絵文字のようなものでしたが、その絵のアナログ的な温かさはとても心地よいものでした。私は、いつも文章の最後に「またね」と書いて送っていたことを思い出します。「さよなら」と書くと、途切れてしまいそうな氣がしたからです。「またね」という短い言葉には、また会いたいという想いが込められるので、大切な人と別れるときは、さよならという言葉の後に、心の中で「またね」とか「また明日」、「またいつか」という言葉を添えています。声に出すかどうかは、その時々で違いますが、ずっと、そうして来ました。妻を亡くした時、この別れには「またね」を添えられないことに氣づいて愕然としました。「おはよう(会えたね)」と言って1日が始まり、「おやすみ(またね)」と言って眠りについていたのに、そんな簡単な言葉すら言えない状況になった訳です。何気なく使っていたその言葉は、決して当たり前ではなかったと思うのです。
 大切な人に、また会えることの素晴らしさを私は知っています。また会えることが、どれだけ貴重なことなのかを私は知っています。だから、これからも、さよならの後に「またね」と言葉を添えるでしょう。「またね」という曲を探して、安全地帯Ⅺの中の「またね...。」という曲を聴きました。どこか懐かしい・・・私が北海道にいたころの少年時代が思い出されます。仲の良い友だちと別れるときは、「さよなら」ではなく、いつも言葉の最後は「またね」「また明日」でした。これが私の原点なのです。「またね」と、たった3文字の言葉には、素敵な関係をつくる言霊が感じられます。再び出会うときのために、やさしさや愛をたくさん乗せて大切な人へ送りましょう。生きていることは、それだけで素晴らしい!そう私に伝えてきた亡き妻に感謝の言葉を送ります。「ありがとう、またね」

いいなと思ったら応援しよう!