「太陽の人」になれたのか?
「太陽の人」に俺はなる!!!と1年ほど前にnoteに記事を書きました。果たして、私は太陽の人になれたのだろうか?職場に復帰して2か月、面白い出来事がたくさん起きました。生徒たちは私の授業を楽しみにしているのか、授業開始5分前には、ほとんどの生徒が教室から理科室へ集まっている。理科室の鍵を開けていなかったときは、たくさん生徒が待っていて、申し訳なさを感じたものです。ぎりぎりにやって来る生徒は、ほんの数名でとても良い感じです。あるクラスで冗談まじりに「みんな集まったようだから、授業を始めようか。」と聞いたことがあります。すると、「始めよう!」という声が多数、上がったのです。「ええーつ!」という否定的な声を予測していただけに、とても驚きました。とても「良い子たち」なのです。2学期が始まったころ、朝の読書の時間になっても廊下を歩いている生徒が多数いて、学年で問題になっていました。私は、椅子に腰かけ、廊下を通る生徒に「おはよう」と声をかけていました。不思議なことに、数週間後には、出歩く生徒がほとんどいなくなりました。教室へ入るように促すわけでもなく、ただ、そこに居るだけです。生徒たちは、私から何かを感じたのでしょうか。実をいうと、こうなると予感していたので、思った通りの展開なのです。
人間関係で大切なことは何だろうか?それは「コミュニケーションから生まれるエネルギー交流だ」と感じています。それも、その瞬間での最適なコミュニケーションです。生徒が伝えてくるエネルギーの形態は多種多様で、その対応も複雑です。それを瞬時に判断して対応するので、思考では間に合わないことに氣づきます。直観の鋭さが必要なのです。言葉や態度、行動は、その人の何らかの意図や欲求から発せられています。逆に考えれば、そのエネルギーからその意図や欲求を読みとれれば、瞬時に最適な対応ができるはずです。例えば、下校時刻が迫ったとき、話の途中だった生徒がいたとします。下校を促したとき、満足そうか、もう少し・・・と感じているのかを伝わるエネルギーで読みとるのです。もし満足そうなら「さようなら」、もう少し・・・と思っているようなら「○○〇」と、私なら言うでしょう。「〇〇〇」は「またね」です。微妙な違いに感じるかも知れませんが、こういうことが、明日の私への信頼に影響しているのだと思います。
廊下を走る生徒がいたとき、どうするのが良いでしょうか。「走るな!」と直球で注意喚起することが多いでしょう。でも、「廊下は走らない」というルールを知りながら走っているのですから、もし声をかけるなら「危ないよ!」の方が、耳ではなく、心に届くはずです。声が聞こえないほど夢中になっている人には、視覚に訴えることが有効です。私がよくやるジェスチャーは、右手を前にかざしてスローダウンを促すものです。丁度、マトリックスのネオが、エージェントを制止するかのように。その時、止まれと念じてエネルギーを送るのです。そんなことで止まるのか?と思う人も多いでしょうが、私の正体を知っている人なら、止まることに納得してくれるかもしれません。もちろん、上手く伝わらないこともありますが・・・。赴任して1カ月ほど経ったころ、面白い生徒に出会いました。昼休みに校地外で一服して校舎に戻ろうとしたとき、「先生、煙草、吸ってたでしょう!」と叫んだかと思うと、勢いよく私の方へ走って来る生徒がいました。煙草の匂いを確かめたいのだなと、すぐに分かりましたが、ぶつかると危ないので、制止のポーズを取りながら眼をつぶりエネルギーを送りました。半径2メートルで制止させれば、問題ないだろう・・・。しかし、「パチン」という音とともに、私の結界は破られました。視覚を封印してエネルギーを送っていたので私は、・・・何?・何だ??・何なんだ???・・・まさか、ハイタッチか・・・何というストレートで強烈なエネルギーでしょう。私はこういう生徒が大好きです。常識や限界に縛られず、どこまでも伸びそうな、不思議な可能性を感じるからです。しかし、私の結界が破るとは・・・。この生徒はきっと、私よりも「純粋なもの」を持っているのでしょう。自分のパワー不足を実感するとともに、こんな素敵な生徒がいるこの場所がとても好きになりました。
「太陽の人」になれたのか?という問いの答えは、あえて保留します。この道に終わりはないと感じるからです。だから面白いとも言えます。どんなに成長しても終わりはなく、自分の能力を過信してはいけない!限界をつくるのは自分だ!ということを再認識させられるからです。修行の末に、自分の世界を自らの光で照らすことで、しあわせが勝手にやって来ることを知りました。しかし、それが私の目指すゴールなのか・・・。先日、校内の合唱コンクールがあり、その歌声を聴きながら、1人では創れない調和の美しさを感じました。完成した1人になるより、調和する誰かと過ごす方が、人生にさらなる深みを与えることができる。私と調和する人を失って、早いもので2年が経とうとしています。孤独な旅も、もう終わりにする時が来ました。無条件の愛で繋がる絆ほど美しいものは、私の世界にはないからです。私が求めていた大切なもの、それは、自分が目指していた「太陽の人」でした。穏やかで、ときに情熱的な光を放ちながら、すべてをやさしく包み込む人・・・。もし2つの太陽が繋がったら、見るものを圧倒する、眩い光を放つ連星となるでしょう。それは間違いなく、この世の「希望という名の光」です。
「希望という名の光」という楽曲はいくつもあるようですが、私が好きなのは、山下達郎さんの曲です。お勧めはアコースティックバージョンです。アーティストの想いがダイレクトに飛び込んでくるので、エネルギーが強すぎると感じるかも知れません。感性が研ぎ澄まされている時は、自然と涙がこぼれてしまいます。でも、涙とともに心が浄化され、希望という名の光が見えてくる、そんな氣持ちにさせてくれる素敵な曲です。明るく輝くだけでなく「太陽の人」は、この曲のような、その存在自体が真実の愛を纏った人なのでしょう。