スクービーの犬vs鬼太郎
USAのドラマ、スーパーナチュラル(以下SN)絶賛視聴中、ではあるのですが、note上の知り合いから、面白い情報を得る。
知っている人は知っている、SNとは、ディーンとサムの兄弟二人が、父の仕事の跡を継いで、アメリカ中で発生するオカルトな事件・・・というか悪霊・悪魔・UMA・都市伝説モンスターを退治しまくるドラマです。
物語も末期になると、天使も神も魔法使いもその他モノすっごい色々まで相手をしていました。
このドラマを見ていると、洋の東西を問わず、オタク的な好みは似てくるのかぁ~と、少々感心しております。
何がって?ニッポンだって妖怪退治モノは時代を問わず大好きなのさ。
昔~し昔から、その昔の良い例は、桃太郎から平安時代には陰陽師があれやこれやら、羅生門では鬼が源氏の人に腕一本持って行かれるし、時代を大幅ドッカンと飛ばして第2次大戦の前後あたり、多分ニッポン人の多くにトラウマと共に記憶にざっくり残っている彼、「ゲゲゲの鬼太郎」というヤツ。まぁ、シリーズの初期(白黒の頃とか)は人に詐欺行為やったり、6作目は、人間相手に塩対応だったりと、対人間との関係は安定してませんが、日本のアニメコミックの中では多分一番妖怪撃破数ダントツ1位ではないかと。
で、SN見つつ、ニッポンの妖怪退治モノと何が違うのか?っと思うところは、妖怪・怪異・モンスターに対抗するのが、ニッポンの場合妖怪が多いくて、西洋の場合、人間が多め、な気がする。
ぱっと思いつくニッポンの日本の妖怪退治の、退治者(なんつー日本語だ!)は、先ほど出てきたゲゲゲの鬼太郎さんやら、ドロロンえん魔くんやら、デビルマン様とか、ヂヤンプのバトル的なコミックには人間が退治者の作品も多いのですが、その力の源泉が妖怪とか怪異とかが多いですねー。うーん、そういう観点から見ると、鬼滅の刃って、そういう意味では少数派なのか?
記憶をぐりぐりナントカすると、日本で人間が妖怪怪異に対抗する作品・・・ゴーストスイーパー美神とか?
かたやアメリカドラマなんかを同じ要領で思い出していくと、スーパーナチュラル、Xファイル、フリンジ、スクービードゥもそうらしいのですが、見たコト無いのでわからなーい。
で、こちらアメリカンの妖怪退治ですが、あくまで人間の能力で妖怪怪異に対抗するのメインのようです。
そう、日本→妖怪怪異の力で妖怪怪異に対抗する
アメリカ→妖怪怪異には人の能力で対抗する
コレが原則のようです。
そろそろTRPGの話をしよう。
この頃出来たNote上の知り合いから得た情報で、Monster of the WeekというTRPGシステムの存在を知る。
どんなゲームだかをざっと説明すると、プレイヤーがオカルト絡み(さっきからさんざん言っている妖怪怪異というヤツだ)の事件を解決していくというゲーム。多分プレイヤーキャラクターは人類!妖怪モンスターがプレイヤーになるンじゃないかな?なにぶんやったことの無いTRPGナノで、フォローできる方、よろしくでございます。
そして一方のニッポンTRPGですが、案外少ない、現代対魔的なTRPGねぇ・・・Gurps妖魔夜行とか異能使い、ビーストバインド、後何かあったっけ?
うーん、妖怪奇異を狩る側つまり、PCが妖怪側の人か、力の源泉が妖怪怪異というパターンが多いような。
件のMonster of the Weekが原則人類がPCで、妖怪怪異から超常能力を借りるのが例外っぽいなら、今までぐだぐだ記述した西洋東洋の違いがゲームの世界でも当てはまるって事になるのかなぁ?
ハンター抜きで妖怪怪異モノTRPGと言えばー、ヴァンパイア・ワーウルフ・メイジのあのあたり世界観が和訳されたシステムか・・・。うーん、クトゥルフは、人間が邪神を追うTRPGに見せかけて、人間様が邪神関係者に血だるまにされるTRPGという認識が。だんだん話が横道にそれてきた。
もう少し西洋東洋の違い的なことを見ていくと、(というか、西洋→アメリカ的TRPG 東洋→日本TRPG)西洋の人々は、妖怪怪異に対し人類は勝てるんでぃ!って考え方で、方や日本は、妖怪怪異に対しては、一方的狩られる立場なんです、許してください。
両者の精神の奥底には、そんな根性が染みついているような気がする。
ついで、文明開化する前のニッポンって、自然現象をはじめとする様々な現象諸々には、神が存在するって概念があったのです。山の神やら箒神とか便所神に貧乏神とまぁ、お金がない状況にさえ神格がつくそれが日本文化でした。
そんなヤカラ(日本人達)が、オカルト現象や妖怪に勝てないのは当たり前、なんたって、相手は神様なんだから、ニッポン人には、神に勝てるなんてそんな概念、塵ほども持っておりません。
・・・TRPGの与太話で、我々ニッポン人をここもでディスるとは、ワタシは何を書いたのだろう・・・?