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愛執、雨に溶けて File.0-1



File.0 #BD0900



 沢山の切り取り線が入っている左手首。
肺に酸素をゆっくりと含み、それを吐き出したのが先か。

思い切り、切り落とした。

 不思議と、痛みは感じなかった。
左手の無くなった切り口よりも、泣きすぎて擦れた目尻の方がヒリヒリと痛みを教えてくれる。

 振り返れば、「好き」という感情に振り回され続けた人生だった。それは厄介なもので、身体の中から、徐々に全身を蝕んでいった。
 疲弊しきった心は、生きることをやめて深い眠りにつきたがった。


 ロミオは、死んでしまったジュリエットを見て、後を追うように毒薬を呑む。
目を覚ましたジュリエットは、愛する人の死を嘆き、ロミオの短剣で自害する。

悲劇的な恋として、有名な話。
悲しく切ない物語だと、昔は確かにそう思った。


   今では。

そうやって、好きな人の傍で後を追うことが出来たら、どれだけ幸せだっただろう。
羨んでしまう独りぼっちの世界は、やけに広く、鋭かった。
人間は学ばない生き物で、大切なことは、いつだって失ってから気付く。



 空になった缶チューハイを床に転がす。
 ふわふわと、心地が良い。


 お湯を張った浴槽に、左腕を浸からせる。
徐々に赤く染まっていくそれを、ボーッと眺めていた。ユラユラと揺れる水面が、反射した自身の姿を歪ませてゆく。乾燥しきってひび割れた唇も、ここでは分からない。
 青く見えていた浴槽いっぱいのお湯が、左腕から溶けだした血液に変わっていく。まるで大きな筆洗器みたいで、蹴飛ばして教室の床に零し叱られた幼少期を思い出す。

笑っていないはずの口角が、ニヤリと、引き上がったように見えた。
瞬間、強い眠気に襲われて、瞼を閉じる。

 記憶。沢山の記憶。
幸せだった日々に、時折狂い果てた悪魔の姿がフラッシュカットのように瞼の裏に映し出される。
久しぶりに、心と体が軽くなっていく。
 

 そうして、ゆっくりと、意識をてばなした。

 さいごまで、あなたを

 おもいながら



File.1 藤崎葵―フジサキアオイ―


 昔から、好きなモノが出来ると日常生活の大半を費やして占領するほど、のめり込んでしまうきらいがあった。


 小学一年生の時は、サッカー少年が主人公のアニメにハマり、二年もの間、毎朝主題歌を歌っていたらしい。
 父親が読んでいたミステリー漫画にハマった時は、その後一年はそれ以外の漫画を読まなかったそうだ。

 極めつけに、好きなモノ以外を完全にシャットアウトしてしまうから、友人と呼べる人は一人も出来なかった。

 それは幼い頃だけでなく、心身共に成長しても変わらなかった。
 一度気に入った曲やアニメは永遠にループ再生。新たな「好き」に出会うまでに年単位の時間を要し、出会ってしまえば直ぐに自分そのものが侵食されていく。
人格が切り替わるかのように、それまでの「好き」は一瞬で冷め、興味がなくなってしまう。


 私の「好き」という感情は、年齢を重ねるにつれて、厄介な障害のひとつとなった。


アニメの同じシーンを繰り返し見ては、寝るのを忘れて通学路で倒れる。
4回目の頃だったか、父には随分と叱られた。
 初めは「好きな物に熱中できるなんて、素敵なことじゃない!」と肯定していた母も、病的なまでにのめり込む私に、徐々に距離を置くようになった。


 「難あり」な性格であるのは分かっていた。
 分かっているのに、何年経っても治らなかった。



 小学校、中学校と友人が出来ず、障害を抱える私のことを不安視した両親は、全寮制の他県の高校を促した。環境をガラッと変えれば「良い方向」に自分が治ると思ったのだろうか。
もしくは、物理的に距離を置きたかったのかもしれない。

 当初は、家から自転車で十五分ほどの場所にある公立の高校に進学しようとしていた。
が、地元に強い思い入れがあるわけでも、何か目指したい将来があるわけでもなかったため、両親が勧めた私立の高校に進学した。



 今にしてみれば、この進路変更こそが、私の「好き」を加速させる悪手であった。

 同じ部屋になった寮生が干渉を嫌うタイプだったこともあり、日常生活を「好き」という欲望で埋めていく日々は変わらなかった。
 むしろ、知り合いが一人もいない環境は、私にとって楽園そのものだった。


 学校が休みの日曜日。当時のマイブームであった近未来SFアニメを調べるために、違法アップロードだらけの動画配信サービスを隅から隅までチェックしていた。
 出会いは、いつだって突然だ。

 その男性は、アニメキャラクターの声真似動画をアップロードしていた。私が好きなキャラクターがサムネイル画像だったこともあり、何となく、けれど導かれているかのように、人差し指は迷うことなく再生ボタンを押した。
結論、声真似と分かっていなければ気付けないほど、高いクオリティの動画だった。

 「或音(アルト)」というチャンネル名をタップすると、最新のアップロード動画から順に様々な動画が縦一列に映し出された。
他の声真似動画はなく、曲のカバー、所謂「歌ってみた」動画ばかりのチャンネル。
キャラクターの声を求めていたこともあり、肩を落とした。


 淡々と人差し指でスクロールする。
 そのたびに、興が醒めていく。


 色とりどりのサムネイルをボーッと眺めている中で、一つの動画が目に留まり、指を止めた。

 青空を切り取ったかのようなイラストがアスペクト比16:9の枠いっぱいに収められている。
 晴れた空は、勿忘草の花の色。その花の名は、中世ドイツの悲恋物語に出てくる、ルドルフの台詞が由来であるとか。

 「僕のことを忘れないで」

 愛する恋人に叫んだ、最期の言葉。
 私だったら、どんな言葉が浮かぶのだろうか。

 「スタートライン/或音(cover)」と名付けられた、4分35秒の動画。
 有名バンドの曲のカバーらしい。
スクロールの度に何となく目で追っていた再生回数は全て三桁だったのに対し、この動画だけ二万回も再生されていた。

好奇心から再生ボタンをタップすると、お楽しみを遮るかのように広告が流れ始めた。スキップボタンが表示されない、比較的長い広告動画にウンザリする。
暇を持て余し、予習がてらに説明欄を開いた。

 
 そして、予想外。折り畳まれていた場所に載せるにしては、あまりにも。
 丁寧で、そっと手を差し伸べるような温かさ。
 

『人間誰だって、小さな石に躓くことや、大きな壁にぶつかってしまうことはあります。
注意して、懸命に生きていても、遠くから槍を投げられることだってあると思います。
それでも、自分を責めすぎてはいけません。
貴方の一番の味方は、貴方でいてあげてください。
 
 この動画が、少しでも皆様の活力になれば、それ以上の喜びはありません。』



読み終えたと同時に、広告が終わる。
入れ替わるように、良くも悪くも私の人生をガラリと変えた音楽が、静かに流れ始めた。

 男性にしては高音域。
ジリジリと照りつける夏の日差しを涼やかにする、風鈴のような透き通った歌声。
それでいて、力強く訴えかけるような、表現力。


 この人のことが、知りたい。

6月2日、日曜日。
私は「或音」の虜になった。



 それからの毎日は、或音が中心。
起きたら彼のSNSをチェックし、登校中も彼の歌を聴く。
二十本ほどあった動画は2時間程で全て見終わり、その中でも特に好きな曲を繰り返し再生。
昼休みは、他の動画配信サービスやSNSで或音を検索。昔の生配信動画をどこかで見れないか、と膨大な情報が浮かぶインターネットの大海に飛び込む。
ファンによる切り抜き動画や、無断転載。
古いブログに掲載されている配信レポート。
何でも構わなかった。
私の知らない或音を見れるなら。
血眼になって探す日々は、約四年も続いた。


 四年という長い年月の中で、私は一度も或音に直接会ったことが無かった。

ライブは何度もあった。
公開生配信イベントも行われた。
それでも、会場に足を運ぶことはなかった。
それが何故なのか、自分でも分からない。

 ただ単純に、一人で行く勇気がなかったのかもしれない。
或音の瞳に自分が映り込む可能性があることに、怯えていたのかもしれない。
もしくは、インターネット上で或音のことを知っていく、ただそれだけで満足だったのかもしれない。

 会わずとも、或音に想いを伝える手段は沢山あった。投稿動画に対するコメントは必ず一番乗り。SNSへの一方的な返信も、投稿から十分以内には行っていた。生配信には必ず参加し、インターネット上での会話を楽しんでいた。或音へのファンレターを書くのは、いつからか毎晩寝る前の習慣となった。

 少しずつ、ファンである自分のことを、或音も認知してくれるようにもなった。
生配信では積極的にコメントを読んでもらえるようになり、顔も本名も分からない自分に好感を抱いてくれている。
そんな優しさが心地よかった。



 大学二年生。
 或音を追いかける日々は突然終わる。

 いま思えば、一目惚れだった。
教室で偶々見かけた彼に、一瞬で目を奪われた。他の人より頭一つ抜きん出ている身長に、スラッとした細長い手足。
左手で前髪をかき上げて現れたのは、優し気な奥二重の瞳に、涙ボクロ。
友人との談笑中に垣間見える微笑み。
低く、静かに響く声音。
何かを抱えているような、ミステリアスさ。

その全てに、呼吸を忘れるほどの衝撃を受けた。或音を好きになって以降、或音以外の誰にも抱かなかった感情が、脳裏を埋め尽くした。



 この人のことが、知りたい。誰よりも。


5月17日、水曜日。
或音への感情は完全に冷め切ってしまった。


 大学内に彼女がいる彼は、よく学食やフリースペースで2人で過ごしていた。
頭を撫でたり、手を繋いだりする彼の姿に、初めて見る瞬間に出会えた喜びと、自分では引き出せない事実に悔しさを覚えた。
けれど、きっとこの先も自分が彼と話すことはないだろう。
ただ、眺めて、調べて、彼のことを少しずつ知っていく日々が幸せだった。

 何度か、彼が受ける授業に参加したことがある。バレないように後ろの席に座り、授業中の所作を目に焼き付け、友人との会話を盗み聞くことに喜びを感じていた。

 その中で、一度、後ろから見えた彼が操作するiPhoneの画面上で、SNS更新の瞬間を見た。
直ぐに使っていた単語で検索をかけ、「最新」カテゴリから彼の投稿を見つける。


@unhappy__maker 2023.11.8

授業中に、友達が来月のライブ当てて興奮してる。嬉しそうで何より。


 フォロワー数0人。
誰も知らない彼のアカウントを見つけた悦びと、微笑ましい文章に口角が上がってしまう。
好きな絵本の話や、バイト先での出来事、友人の些細な会話など、柔らかな雰囲気で綴られている日常に、心が暖かくなる。
全ての文章を確認しながら、ゆっくり丁寧に、取り零すことがないように過去を遡る。

ポツポツと、不定期。

不穏な気配が纏わりついた投稿が現れる。

初めは人間味を感じていたが、その内容に、何か見逃してはいけないものを覚えた。



@unhappy__maker 2023.8.23

悪霊を祓えば幸せになれるのかな。
全部諦めて、消えたい。何も考えたくない。
誰か、連れ出してくれ。


@unhappy__maker 2023.7.11

帰りたくもないのに。
勝手に家に向かう自分が怖い。


@unhappy__maker 2023.6.9

幸せそう。良かった。でも、君が隣で笑うたびに、心が苦しくなる。


@unhappy__maker 2023.6.3

息苦しい。どうしたら、幸せになれる?
全部、諦めて、どこかに消えてしまいたい。


@unhappy__maker 2023.5.18

いつから、俺はこんなに脆くなったんだっけ。
昔はもっと耐えきれていたはずなのに。


@unhappy__maker 2023.4.21

いっその事、苦痛も快楽になる洗脳でもしてくれ


@unhappy__maker 2023.3.19

クローゼットの中と、冷蔵庫が荒らされてた。
ちょっと、疲れた。





「悪霊」に、「洗脳」。帰りたくない「家」。
誰にも届いていないSOSが確かにここにあった。

時折見せる焦燥した表情の原因だろうか。
毎日こっそりと、痛めているかのように腹部を押さえるのも、彼女の前で一瞬だけ泣きそうな顔をみせるのも、その全ての本音を、誰にも打ち上げずにここに仕舞い込んでいるのだろうか。

話したこともない私に、何が出来るかは分からない。
それでも、彼の苦しみを知ってしまったのは私だけかもしれない。

 画面に表示された彼の叫びを、一つずつカメラロールに収めていく。
彼が何に囚われているのか。
何を恐れているのか。
知っておかなければ。
探さなければ。

情報収集は、誰よりも得意だから。
気持ち悪く思われたとしても、ストーカーだと、嫌われたとしても、自分の武器はそれしかなかった。
どう思われてもいいから、彼のことを今すぐに救いたかった。


隅から隅まで。日常を彼で埋め尽くすように。
インターネットの世界に、飛び込んだ。


続   File.2 細井沙也加―ホソイサヤカ―



アトガキ

「卒業制作はハッピーエンドを書きます!」
人生最大のウソ

5分割 タブン
行間はFile2以降で埋まってくるハズ
味の保証はしません

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