【小説】幸あらんことを。
「ねえ、初恋の人と両想いになれる確率って1 %しかないんだって。」
「へぇ。」
「興味なさそうだね。まあ、予想通りだけど。」
六月真っただ中にしてはからりと晴れた空に手のひらをかざして幸はけらけらと笑う。彼女のもう片方の手の中に納まる容器の中で、カサリと色とりどりの花びらが揺れた。
楽しそうに笑顔を浮かべる女の横で、男は彼女の底無しの明るさを浴び、呆れ顔で肩を竦める。
ふと、不規則に騒めいていた会場がゆっくりと静まり返った。小さな話し声と、一方向に向けられる視線。二人もその様子に気づき、幸は笑顔で、男は変わらぬ興味のなさそうな冷めた顔で、視線の方向を見遣る。
青空に映える白壁の教会の扉が開かれた。そこから出てきたのは純白のドレスを身に纏った女性と白いタキシードを着た男性だ。
青と白の世界に花が舞う。「おめでとう!」「おめでとう!」 と色とりどりの声で口々に祝福の言葉を投げかけられ、女性も男性も照れ笑いを浮かべながらバージン・ロードを進んでいく。
幸も容器の中の花びらを思いきり掴んで散らし、二人の新たな門出を色づけた。
「おめでとう!二人とも!…… ねぇ、命もやろうよ、フラワーシャワーは今しかしないんだからさ。」
「俺がやってどうするわけ……はい、俺の分は幸にあげるから。」
がさり、と、命は持っていた容器の中の花びらを、空っぽになった幸の容器に移し替える。ついでに自身の空になった容器も重ねて幸に押し付けて。
がしがし、と真っ黒な癖毛頭を掻く命を横目でちらり、とだけ見てから、幸はすっかり元の量に戻った、二重の容器の中の花びらを見てため息をついた。
「ちょっと、命……あ、おめでとう二人とも!末永く幸せにね!」
披露宴が行われる外の会場には、芝生の上に置かれたいくつもの白い丸テーブルと椅子が既に設置されていた。皆、自分の名前が書かれたプレートの置かれている席に座り、運ばれてくる料理に舌鼓を打つ。
「形式的な式は三十分で終わるのに、披露宴は二時間以上って……マ、こっちの方がある程度自由に立ち回れる分楽しいんだろうな。」
「あは、楽しいムード台無しにするようなこと言わないであげてよ、命。だって、ほとんどの人が一生に一度しか経験できない結婚式だよ?好きにやるのが一番だって!」
命が幸に視線を向ける。幸はにこりと笑顔を浮かべた。
ケーキ入刀や友人の祝辞、新婦のお色直しなど、ある程度のイベント事が終わり、今は新郎新婦が各テーブルを回って挨拶をしているところだ。
「わぁ……そろそろ私達の番だよ!緊張する……」
「幸が緊張してどうすんの……。」
幸はバックから取り出した手鏡で前髪を直したり、今日のために新調したベージュのワンピースをパタパタとはたいて整える。そんな彼女を横目に、命はもぐ、とデザートで出されたアイスを頬張った。
「おーい、幸!」
化粧も直した方がいいかな、と焦りだした幸に声がかけられる。幸は持っていた手鏡をバックにしまい、花のような笑顔を浮かべて顔をあげた。
「涼!」
顔を見合わせた二人はパチン、とハイタッチを交わし、悪戯をした後のように二人で笑いあった。
「結婚おめでとう、涼!まさか涼が私より先に結婚するとはねぇ。しかもアンタにはもったいないくらい、いい人と!」
「一言余計だコラ。」
「あはは!日葵ちゃんも、ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとうございます、幸さん。先日はドレスのご相談に乗ってくださって、本当に助かりました!」
「いいんですよ~!どっちかというと、涼がこんなに可愛い日葵ちゃんに見劣りしないか不安でドキドキしてたくらいですから!」
「お前な…… 」
三人の軽快な笑い声がテーブルを包み込む。周りの席でもコメディチックな三人の会話にくすくすと笑い声を零す声が聞こえてくるほどだった。
「本当は私が友人代表スピーチしてあげられたら良かったんだけど、ごめんねー、その時ちょうど入院しててさ、電話出られなくて。」
「別にいいよ。そっちこそ今は怪我、大丈夫?」
心配そうな顔を浮かべる涼だったが、幸は一拍置いてお腹を抱えて笑い出した。
「平気ヘイキ!小学校以来の仲なんだから、私の頑丈さについてはよぉくわかってるでしょ?」
ひとしきり笑って満足したのか、目尻に涙すら浮かべる幸は、不安そうな顔を浮かべる幼馴染に向かってサムズアップをしてみせた。涼は安堵したのか、一瞬穏やかな笑顔を幸に向けたかと思うと、すぐに悪戯小僧のように口角を吊り上げる。
「はは、そうだな。木から落ちても平気な猿……じゃなくて幸が、車にひかれたくらいで死ぬわけないもんな!」
「いや流石に死ぬよ!当たり所がよかっただけだって。涼も、日葵ちゃんが危ない目に合わないようにしーっかり手を握っててあげるんだぞ?……てか、こら、今猿って言ったな?」
「やべ」
涼の焦ったようなわざとらしい声に日葵が肩を揺らす。幸もその小さな笑い声を聞いて、怒ったふりをやめて破顔した。
「それじゃあ、そろそろ次のところに挨拶に行くから。」
「ブーケトスの時、絶対に来てくださいね、幸さん!」
「はーい。勿論だよ、日葵ちゃん!あと、涼!二人ともホントに今日はおめでとう!」
二人は幸に手を振って、隣のテーブルに座る家族連れに挨拶をする。何か笑われているのを見るに、先程の会話をネタにからかわれているのだろう。その様子を見ながら、幸はまた笑った。
「気は済んだか?」
ふと、命が口を開く。幸は命に視線を向けず、ただ新郎新婦の微笑ましい姿を見つめていた。
「……うん。」
「あ、そ。」
微かに、芝生と椅子が擦れ合う音がする。立ち上がった命は、座ったままの幸に手を差し出した。幸は、ゆっくりと現実から目を背け、寂しそうに笑った。
「ありがとう、命。私のお願い、叶えてくれて。」
ワンピースの裾を握りこむ。綺麗に整えられたスカートにしわが、そして水玉模様ができた。
「あはは、残念だなぁ。折角ならブーケトスまで許してくれないかな、なんて思ったのに。」
「悪いけど、契約は契約だから。【二人の結婚を祝福するまで】、それがお前の延命条件だろ。」
震える手で、幸は命に手を伸ばす。重なった命の手は、氷のように冷たかった。
「内容は、覚えてるよな。」
「……うん、勿論。【一週間分の命と引き換えに、契約が完遂されると私は死んで、私の事を知るすべての人間から私の記憶が消去される】、でしょ。これからのあの二人の幸せな人生に、お邪魔虫な私は存在しなくてもいい。……ちゃんと覚えてるよ、『死神さん』。」
するり、するり、と幸の口からこぼれる言葉に命は黙って頷いた。幸は涙の痕を拭い、努めて笑顔を浮かべる。
「ワガママ言ってごめんね。私の最期のお願い、叶えてくれてありがとう。」
「……別に、そういう契約だから。じゃあ、そろそろ逝くよ。」
命がくるりと背を向ける。一歩、二歩、と命に着いて歩き出そうとした幸の足が、止まった。幸の顔が、必死で諦めようとした何かに焦がれる様に歪む。それに気が付いた命が、冷たい海のような蒼い瞳で幸を見た。
「…… なに?」
「っ、ごめん。やっぱり、もう少しだけ、一言だけでいいから、言ってきても、いい?……どうせ死ぬなら、ちゃんと納得して、死にたい。」
男はそのお願いに答えを返さなかった。しかし、女は分かっていた。突然新郎新婦の目の前に現れた、酷い顔の女を咎める人間は、この場にはいない。いや、存在しない。
今にも涙が溢れてしまいそうな顔をくしゃりと歪めて笑顔を浮かべ、息を吸う。
「二人のこれからに、幸あらんことを!」
そして、言葉を飲み込んだ。幸はくるりと二人に背を向け、命の方へ、一歩、足を踏み出す。
「あぁもう、1% は叶わないくせに0.2% には遭遇するんだから。……でも、私にとって大事な二人に愛されているうちに消えられて、よかった!」
命は、そう明るく言い放った幸をじとりと睨んで、でもやっぱり単調な声で呟いた。
「欲張り。」
「ごめん。」
「… まあ、未練タラタラな人間らしくていいと思うケド。」
幸せに包まれた披露宴会場から、一匹の雀が飛び立った。