偶然にたぶん重なった手が
きっとあって、必然として訪れたのだと感じる。
4月8日·9日に訪れた東京で感じた。
ここ最近、手話で話している人たちに地元でもよく出会うことが増えたと感じていた。
けれど違ったのだ。
私が勝手に見ないふりをして世界を閉じていたのだとハッとした。自分勝手な味方面でいた自分がいる。すごく身勝手な自分が今も居る。
《ロシア人が悪いわけじゃない》という言葉に心から賛同した。私も世界の境界線をゆるやかに感じる世界を描いていきたいとつよくつよく感じた。《触れる》芸術に、生活に携わりたいと。
まだなにができるかわからないけれど。
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福祉や教育が特別なわけでもないことをあらためて実感した。LGBTもそう。
恵比寿で見かけたオネイマンさん、すごく立ち居振る舞いが美しくてキレイだった。
勝手に写真も取れないし、お買い物中だったからと、話しかけることができないことに言い訳している自分にもガッカリする。
でも、それが《今》の自分。
小さなはじめのいっぽを踏み出せたのだと思うことにしよう。
世界は言葉で音楽でアート。
もしかしたら数楽かもしれない。
多様性、未だによくわかっていないけれど、まずは自分にできることから、ね。