悪癖と桂浜
ーオレとアチキの西方漫遊記(32)
このまま京都に向かうのか、それとも時間が許す限り、高知を楽しむかー。スケジュールを気ままに決められる旅行では、こうした出発当日の朝の判断が難しい。好きに選べば良いと分かっている一方で、ありもしない正解を探そうとしてしまう。もはや"悪癖"に近い。泊まった民宿は景勝地・桂浜(高知県高知市)まで徒歩で行ける距離。少なくとも、坂本龍馬がこよなく愛したというこの浜に寄り道することにした。
去り際のやり取り
「行ってきます」ー。宿の女将さんに別れの言葉を告げる。「行ってらっしゃい」と笑顔の女将。さようならを使わない去り際のこのやり取りが気に入っている。一期一会を必要以上に意識しないところが良い。
背を向けた瞬間から、この先の行程についてシミュレーションを始める。京都の宿に着く時間を想定し、スマートフォンをいじりながら、大まかなプランを練る。嬉しそうに風景を撮影する奥さんの心のゆとりが妬ましい。
不意に響く注意の声
「波打ち際に立ち入らないでください」ー。桂浜は潮流が速いため、水際に近寄ろうものなら即座に注意される。どこから見ているのか、スピーカーを通じて大きな声が届く。不意に警告を受けた人が動揺して辺りをキョロキョロする様子がおかしく、不謹慎だと思いつつも、クスッとした。
桂浜は砂浜というより、むしろ砂利浜と言える。押し寄せる波に砂利が洗われ、カラカラと鳴る音が記憶に残る。波の音、スピーカーから響く大きな声を含め、この浜は耳に訴えかけてくる印象だ。桂浜は月の名所とされている。目で感じる浜辺というのがどうも一般的らしい。
奥さんも桂浜を目で感じたようだ。とはいえ、一般のそれとは一線を画し、月ではなく砂利、あるいは小石という印象があるという。「きれいな色・模様の石がたくさんあって、蒐集家の魂がくすぐられた」とか。そして、キッチンの脇に瓶詰めされた桂浜の小石が、今もひっそりと置かれている。(続く)