平和への願い
ー75回目の原爆忌(上)
8月9日は「長崎原爆忌」だ。2020年は75回目の長崎原爆の日になる。8月6日の「広島原爆忌」と同様、平和が続くよう祈りを捧げたい。広島原爆の日は、個人的に「黙祷」という言葉を覚えた日でもある。うろ覚えだが、小学1年生のこの日。黙祷と聞いて意味が分からず、母親に教えてもらった気がする。以来10年以上、広島と長崎の原爆忌に黙祷を欠かしていない。
条件反射
黙祷を欠かさない理由は、幼稚園から小学低学年までの5年間を広島市内で過ごしたことが大きい。原爆忌と聞くと、心が無意識に反応する。それは広島であろうと長崎であろうと変わりなく、もはや条件反射に近い。"平和教育"の影響だろうか。
小学生当時、毎年原爆忌は登校日。教室内に集まり、原子爆弾が投下された8時15分になると、先生の指示で黙祷した。先生はたぶん、黙祷という言葉を咀嚼して説明してくれただろうが、それは記憶になく、その後の母の説明でようやく理解した覚えがある。
危うい現況
広島原爆忌と同じく、長崎原爆忌でも黙祷を捧げる。日本は、依然として中国と尖閣列島、韓国と竹島、ロシアと北方四島の領有をめぐり揉め、解決の糸口さえ見えていない。今ある平和は薄い氷の上で、どうにか保たれているとも言える。実に危うい。ただ、それでも一線を越えるよりはマシだ。
平和への願いを込めて静かに祈りを捧げたい。(続く)
(トップ写真:薄暮の原爆ドーム=りす撮影)
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