1/9「ウイスキーは"理解"によってうまくなるお酒」
ウイスキーについて心底オモロいなぁって思うポイントに、”理解”がある。初見で飲んだとき「微妙かも...」って思ったものも、日を改めてのんだときに「あれ?うまいかも?」となる。
それはたぶん、人の”理解力”のスゴさ。理解できるとそのぶんうまくなる。これが本当に不思議。ものすごい変化だと感じる。
ウイスキーを最初から「うまい!」だとか「好きだ!」と思えるひとは少ない。まず初めて酒類と出会うのは威勢のいい飲み会などで、半分くらいの人たちがまず「イヤな記憶」と一緒になる。大して好きだから飲んでいるわけじゃない。うまいわけでもない。大人の階段を登っていく中での通過儀礼、みたいなもの。でも繰り返して、慣れて、好ましく思い出す。
ウイスキーという酒類はとくに、20代前半で好きになる確率がかなり低い。私のフォロワーも20後半から30代が一番多い。そもそも飲みにくい酒である。ビールでさえ、昔はなにがいいのかわからなかった。若さは苦みを受け付けない。甘けりゃ甘いほど飲みやすい。そう思っていてた。楽しく酔えればなんでもよかったから、甘い缶チューハイはいつでもよく売れる。
それが25歳から30歳くらいになると、それではつまらないと感じる一派が現れる。または、ワイワイやる飲み会に嫌気を出す人、そもそも酒が体質に合わなかった人などがいる。わたしは元々会社員で、残業ばかりの仕事がハードだったから、若い連中同士で飲みに出かけるのはいつもの楽しみだった。救いでもあった。ただ、ビールがどうやら身体に合わなかった。
そこであろうことか、23歳のわたしは検索窓に「健康 お酒」と入力した。
「お酒を飲んで健康になる」なんて通説はとっくにない時代に、その中でも身体に与えるダメージが最小限になるものを知りたかった。そこででてきたのが「ハイボール」だった。わたしは当時、「ハイボール」が「ウイスキーのソーダ割り」であることを知らぬまま、または大して意識しないまま飲んでいた。翌日の調子がマシなことに気づいた。スポーツ選手は糖質を避けるためによく飲む、ともこのとき知った。
飲み会ではもっぱらハイボール。甘くないのがむしろよくて、なんだかスカッとした気持ちになれるお酒。「あぁこれがいいな、食事にも合うし」、などと思って繰り返し飲んでいたのだけど、職場の部下が「わたし最近、”ウイスキー”にハマってるんですよね」と言い出し、「お前...若いのにウイスキーだと…?」と思ったから詳しく教えてもらうことにした。なんか自慢げな顔で言ってくるので腹も立ったし。
そうして飲んだ「ワイルドターキー8年」のストレートが、まぁ面白いほどうまく、「世の中にはこんなに複雑で、濃厚で、味わい深いお酒があるのか… !!」と衝撃をうけた。20代前半まで”ウイスキー”というのはたいてい、「角瓶」「トリス」「ブラックニッカ」でしかなかった。そこに現れた「ワイルドターキー8年」が、世界の広さを知らせてくれたことを今でもよく覚えている。ハイボールを飲んでたことで、ウイスキーの味にもすっかり慣れていたようだった。
それからというもの、仕事の合間を縫って白州蒸溜所へと夜行バスで向かったり、当時の世もウイスキーブーム真っ盛りだったから、テレビで特集が組まれたりしていて、とある酒屋の店主が紹介されていたから、翌日にはそこに行き、会いに行ったり、初めてのシングルモルトを買ったりもした。それくらいドハマリした。窮屈だった日常に光が刺した気がした。無意識のうちに、わたしは飛ぶようにして仕事を辞めていた。
すこし昔ばなしに花を咲かせてしまった。話を戻すけれど、ウイスキーについて面白いのは”理解”である、とわたしは思っている。理解できたその感触がクセになっていく。その気づきは一過性の勘違いかもしれない。だけど、理解できた途端ウマく感じるのだけは間違いない。それをもっともっと、繰り返したくなる。もっと理解したくなる。アルコールの酔いにも助けられながら。
理解を重ねるたび、人がもつ”理解力”に感動する。昨日までまるきしわからなかったモノゴトが、寝ておきたら無意識のうちに認識の塊を形成してて、腹落ちするような。カタチになるような、そんな気がする。その気付きがいつでも宝物のように感じる。「体験こそ価値」というけれど、本当にそうだなぁと、ウイスキーを通じて感じ続ける7年間なのである。それはウイスキーの範囲を超えてもなおそうと言えるから、人生全般に役立っている。
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