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2/22「『個人』と『集団』。どう折り合いをつけて生きてくのか」
『個人』と『集団』というテーマは、ここ一年とくに頭をよぎるテーマだ。たしかアフリカの言葉で「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」みたいな話がよくあるが、それについて思うこと。
『個人』と『集団』にはどんな関係があり、わたしたちはどう折り合いをつけていくのか。正直あんまわかってないこともまだ多いのだが、自身で色々と試しながら、実体験をもとに、少しづつ見えてきたことがある。
わたしは長らく『個人』と『集団』をそれぞれにやってきた。『個人』はウイスキーを主にするSNS活動。『集団』は会社や学校に所属したり、店をやったりするとき取り組んでいたように思う。
「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け。」
コレを思い返すたび、どうやら「確かにそう」ってことと、「いや、そうはならんやろ」と思うこと、その両方が共存して感じることがある。
「早さ」を整理してみる。
だれともチームを組まずに『個人』をやるとき、なにかうまくいくことがあればその”報酬”を『独占』できるだろう。逆に、うまくいかなければその全責任は自分に乗ってくる。”ハイリスク・ハイリターン”とはこのことだろうか。
『集団』で動くとき、うまくいけばその”報酬”は『分配』される。うまくいかないときに全責任を押し付けられることはあまりなく(立場や内容によるけども)、”ローリスク・ローリターン”になるだろう。
短期的にみたとき、たしかに経験からそれらを実感する。
『個人』では、なんかの間違いでガッと何かしらの”報酬”が降ってくることがある。フォロワー・金・評価。さまざまな種類があって、それらはすべて『個人』へと振り込まれる。
会社に所属していた頃、”報酬”というのいつも安定していた。まず月給、そして評価は会社の看板を通し、ろ過されたあとに個人へと流れる。自分が調子のいいときは誰かを助け、自分の調子が悪いときには誰かに助けてもらっている仕組み。均すことで、"集団のパフォーマンス"を一定に保つこの仕組みは、かなり理にかなっている。
まず、『個人』というのは、『人が壊れやすい構造』にあると思う。上下幅が大きいために、安定した報酬回路が培いづらい。大金宝くじに当たって『終わってしまう人』がいるように、その報酬の供給されるべきペースというのは、とても大切になる。人は、器を超えた報酬をいつも扱うことができない。
『集団』というのは、『人が安定する構造』にあると思う。報酬体系をなだらかにし、マネジメントによって量をコントロールする。”人を壊さないための仕組み”というのを、『集団』というのは備えているし、なければそれを培っていく。だから安定する。その恩恵について、『集団』にいる中でよく実感する。
『個人』でやっても壊れないやつというの、滅多にいない。どんなに強い『個人』でさえ、なにかしらの『集団』を形成していく傾向にあると思う。
そう整理してみると「遠く」についてもよくわかってくる。
「遠く」を理解してみる
『個人』は何にせよ早い。上がるのも早いし、落ちるのも早い。器のサイズに応じて、乱高下のキャパを超えたとき、ちゃんと壊れる。実際にフォロワーが急増したり、急に金が増えたりなどで壊れた経験も、20代ではよくあったように思う。一度壊れると数年戻らない。”報酬キャパを超えてもなお耐えた時期”というは、概ね、『集団』の中にいた。得た報酬を分配するべき正当な”先”があらかじめ、ちゃんとあった。
『集団』には「人を人のまま、生活させるだけの力」があるように感じている。人を『ちゃんと生活させる』ということが、「遠く」につながっているのだろうと、最近よく思うのだ。長期的にみたとき、やはり『集団』は遠くにいけるはずだ。
『個人』ならばやりたかったことが、『集団』のタスクに追われて手を付けられないことがある。あまりに気張りすぎてしまえば、なんだかモヤモヤとした気分を抱えることもある。それを定期的にちゃんと、整理し、処理していく必要があった。
しっかり掃除・整理してみると、その恩恵の種類が異なっているだけで、得ているものと失っているもの、それぞれの収支を考えて『今いる場所』を選択できるように感じる。そもそも、『個人』ならばやりたかったものも、『集団』に身を置くことで発生していると、冷静に考えればようやく見えてくる。
『個人』を立てすぎて爆散してったヤツはよく見るし、『集団』により忙殺される様子も静かだが、よく観測する。
「わたし」というものが”主人公”であるそれぞれの人生のなかで、どう『個人』と『集団』の折り合いをつけて生きるのか。わたしは、「"わたし自身の輝き"を、他人や環境に失わせずまま共存する」、そんな在り方について模索しているのだと思う。
『個人』と『集団』を、高い次元で『個人と集団』として扱うように。
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