自分のために文章を書く
僕の文章は明らかに誰にも見られていない。しかしそれを悲観する必要全くない。仮に同じような境地にいる方がいてもそれは全く悲観する必要ない。なぜならば僕たちは自分のために文章を書く必要があるからだ。
人のために文章書くと言う事はとても重要なことである。しかし文章書くと言うのは相手のために物色為じゃなくて自分のために文章書くと言う目的があっても良いのではないだろうか。
自分のために文章書くということがどういうことかと言うと、ストレージとして考えていると言うことである。ストレージと言うのは保存と言う意味だ。つまり自分が今考えていることをアウトプットして保存しておくと言うことだ。これは日記とも言い換えることができるかもしれないが意味合いとしてはそうである。
例えばこのノートに文章を書くと言う事はこの日のこの時間帯に私はこういうことを考えていたと言うことが保存される。そうすることで自分を振り返ったときにこの日はこんなことを考えていたんだなとかこの表現いいなとかでは成長したなとか何か自分の気づきになると思う。これが案外重要だったりする。
自分のために文章書くと言う事は自分が今もっていることを嘘偽りもなくアウトプットすると言うことだ。相手のために文章書くと、多少は気を使ったりとか嘘を間違えたりとか誇張したりとかしてしまう可能性が高い。そして間違いがないように何回も見直したり、見やすい構成に変えたりとか時間がかかってしまう。
一方自分のために文章書くと言う事は不要なのだ。もちろんきれいに書く事は常日頃考えた方が良いと思うが8割位で全然良いと思う。人に見られると言う事は9割から10割位の本気度で帰ってしまうためなかなか気が重い。
そうなってくると、別に自分の心の中で考えていて、アウトプットしなくてもいいんじゃないかって言うふうに疑問に思うかもしれない。しかしアウトプットした方が良い。何故かと言うと先程ストレージと言ったように保存ができるからだ。保存といってもクラウドストレージと言って、外部に保存ができるということがポイントになってくる。
外部の保存ができると言う事は、自分では覚えていなくても良いことだことだ。つまり忘れても良い。あの時考えたことって何だっけって思った時に、外部ストレージにアクセスすればまた思い出すことができる。コンピューターの概念で言えば、外部ストレージにあるデータをメモリーに保存すると言うことだ。そしてメモリからまたCPUで処理をすればよい。
今はとても良い時代で、私みたいに文字が下手な人も、気軽に自分の思っていることを保存することができるような時代になった。これはとても効率が良くありがたいなと言うふうに思っている。このような文章を15分足らずで外部ストレージに保存することができるので日々保存していこうと思っている。
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