実は愛されている、という事実
ーーーーー自分はだれかの大事なひと
この言葉を全く信じられない生活をアラサーまで送っていました。
不幸な生い立ちがあるわけでもないし、友達もいたし、彼氏がいたこともある。
友達同士でニコイチとか、WILLCOMのかけ放題、彼氏と好きだの愛してるだのと言い合ったり、秒単位で送り合うLINE/既読・未読問題、それっぽいことはそれなりに経験してきた。(自分で書いてて、節々に時代を感じるw)
…でも、明確に愛されたという記憶はなかったのだ。
*似たような境遇を生きた方へ、何か気づきになればと投稿します。
なぜこの怪現象がおきたのか?
結論から言うと、自己肯定感が低かったからだ。
周りがどんなに自分のことを褒めてくれていても、
たとえ勇気を出して、好きだ、愛していると言ってくれても
私には、受け入れられる器がなかったのだ。
もっと簡単に言うと、全部お世辞のように聞こえていた
*心にもないことをいう感じ
なぜ、お世辞のように聞こえていたのか?
裏切られるのが怖かったし、嫌な思いしたくない。けど心のどこかで少しでも信じていないと思えば、傷も浅く済む、こんな感覚だったのかも。
傷つけられようなものなら、相手をブロックする準備を瞬時にする、みたいな。
自分が裏切られたと感じた経験も何回かあって、傷つけられたし・傷つけたこともあった。常にアンテナを張り巡らして、静かに臨戦体制だったなぁと。
真正面から「愛されている(いた)」と気が付いた/思えるようになったのはいつか?
それが、2021年3月なのです。最近過ぎてビビりますよね。
私も、同じ気持ちです。
私の中で「愛される」とは、「存在してもいいよと無条件で認められるということ」に気が付きました。
なぜそう思えるようになったのか?
たまにしか合わない方からかけられた言葉がきっかけでした。
「〜〜さん(私)って、心の中が澄んでますよね」
唐突ですが、、実はワタシ、透明もしくは白でいたいとずっと思っていたのです。
誰に対しても公平なヒトでありたいという想いから、
その象徴が色でいうと透明もしくは白だと思っているんです。
あぁ、ワタシが思っていることって言動の端々から実は伝わっているんだなぁと
シミジミ感じたのです。そしてその点を褒められたのです。
なんて画期的!と思いました。
と、言うことは、ワタシが今まで受け取ってきたポジティブな言葉たちも
一貫性がある対応をしてくれた人たちからでた言葉は、
その時、その人が思った真実だったのではふと本当の意味で気が付いたのでした。
回想(まとめ)
そう考えると今まで人生の節々で、自分を想ってくれる人はいたし、
気づかないうちに支えになっていてくれたのだと
今更ながら実感したのでした。
ウザイと思われるかもしれないが、特に元彼たちは
全力でワタシを盛り上げようとしてくれていたし
我ながらいい人と付き合っていたと思う。
(それぞれで幸せになっていて欲しいと本当に願う。
今何処で何してるか知らないけどw)
これからの人生どこかで嫌な思いはするだろうし、裏切られちゃうかもしれない。
だからと言って、自分を認めてくれた存在までかき消す必要は皆無だと気が付いた。
そして、(購入品だけではなく)自分の欲しい物は
大半は手に入っていると気が付けたのも大きいかも。
誰からも愛される、春の名物「さくら」をトップに添えて。