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【インタビュー】四肢麻痺の私がママになれた!多くの手に支えられて、みんなで育てる!私の育児スタイル 後編

30歳の冬、雪道で車がスリップ。そのまま車が林に突っ込むという自損事故により、頚髄を損傷(C6)。四肢に麻痺が残り、車椅子生活を送るりーこさん(40代)。現在、車椅子ママとして1児を育てる彼女に出産や育児のお話を伺いました。


前回までのお話

事故で頚椎を損傷したりーこさん。結婚し、不安はたくさんあったけれど周囲の声に支えられ、妊娠出産を決意。



想像すらできなかった脊髄損傷の妊娠・出産


ーーー妊娠中は大変だったとお聞きしましたが、妊娠中のことについて聞かせていただけますか?

りーこさん:前の流産のこともあり、健診ごとに一歩一歩階段を上るように常に不安が付きまといました。この不安は産むまでずっと続きました。このまま無事に育ってくれるのか、どんな生活になるのか、無事に産めるのか。

妊娠中は、母なくしては生きていけなかったと思います。

まず妊娠した途端に困ったのが排泄でした。排泄障害があり、妊娠前は尿はお腹を押して自尿していましたが妊娠したとなればそれができません。尿が出きらず、トイレが近くなり、怖くなって健診時に相談しました。

導尿をすることになったのですが、ちゃんとできるか不安でした。

ですがやってみると、国リハ(国立身体障害者リハビリテーションセンター)に入所していた時に導尿訓練をしていたおかげで、すんなりできてしまい、私の不安は一体何だったんだろうと思いましたね(笑)

はじめての尿路感染になったのもこの頃で、病院に行って「お腹が痛い」と告げても「赤ちゃんは元気ですよ~」で返されて、あとで尿路感染とわかったなんてこともありました。伝え方って難しいと感じました。

排便も腹圧をかけていたんですがそれができない。便が出づらくなってしまい、母にはじめての摘便をしてもらいました。それでそこから3日に1回ペースでうんこデーをやる生活に変えていくことになりました。今もその流れを守ってますが、最初は地味にストレスでした。

それでも初めの頃はそれなりに動けていました。

つわりはほとんどなかったんですがお腹が大きくなりにつれ動きは制限され、運転はできなくなり、だるさと眠さが半端なかった気がします。足のむくみもひどく、車椅子に移乗するのも一苦労で、ほとんど横になってることが多い生活でした。


ーーー大変でしたね。脊髄損傷女性は切迫早産などで早期入院になることも多いと聞きますが入院等はされましたか?

りーこさん:32週頃から赤ちゃんが横向きになってしまい、浮腫みもひどいので入院となりました。切迫早産ではなかったので割と自由に動けたのはありがたかったです。ただお風呂のたびに母に来てもらっていたので母の負担は半端なかったでしょうね。

手が不自由なので入院中の作業療法でおむつ交換や沐浴、抱っこなどのやり方を色々考えてもらうことができました。この入院生活でも本当にみんなに応援してもらうことができたように思います。

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ーーー出産は自然分娩ですか?

りーこさん:出産は予定帝王切開で38週での出産でした。先生たちの判断で部分麻酔になったんですが、切っている最中痛くて麻酔を強めてもらいました。

分娩台で先生たちの顔を見たら急に涙が止まらなくなって号泣してしました。担当の先生に励まされ、手を握ってもらいました。あの急に押し寄せてきた言いようのない不安には驚きました。今から母になると思ったら、急に不安になったのかな?

無事に2536gの元気な男の子が産まれました。私の第一声は「どっちですか?」でしたね。妊娠中、性別を教えてもらえなかったんです。

赤ちゃんの顔を見せてもらって保育器に入るためバイバイとお別れしたのち、感覚がないからよくわからなかったのですが、夜になって出血が止まらなくなり危険な状態に陥りました。輸血して夜通し止血してもらい子宮全摘を免れました。

翌日、赤ちゃんに会えましたが起き上がることを禁じられていて、授乳したりはできませんでした。すやすや眠る赤ちゃんの顔を見ていると、この子を産んだのかという不思議な感覚でした。

出産から退院までは17日かかりました。


家族の形はいろいろ


ーーー今の二重生活を始めたきっかけは?

りーこさん:そもそも結婚してからずっと平日は実家、週末は旦那の家という生活だったんです。旦那とのアパートが住み辛かったことや、リハビリで通っていた病院が当時は1人では車の乗り降りができない駐車場だったので母に付き添ってもらっていて、そんなこともあり平日実家にいる方が都合がよかったんです。

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妊娠中はほとんど旦那の家に行くことはできませんでしたが、家を建てる打ち合わせをしていたのでその時は迎えに来てもらっていました。そのまま出産して育児に手が必要で二重生活を継続したまま今になっています。私、甘えてるなって思って落ち込むこともありますが。


ーーー甘えとはまた違うように感じます。できないことを無茶して1人でやろうとすることが努力かと言えばそうではないように思います。できないことや難しいことを割り切って、安全安心の環境の中で子どもを育んでおられるのですから。

そのために素直に頼れる関係と、それを受け入れてもらえる関係を作って維持するのも努力だと思います。ご主人と息子さんは離れていて寂しいということはありませんか?


りーこさん:毎朝夕の挨拶は生存確認も兼ねて、欠かさないようにしています。一緒に過ごす時間は他の親子よりは少なくなってしまいますが、産まれた時からそれが普通で育っている息子は「ととはあっちのおうちに居るもの。自分とかかはこっちに居るもの」だと思っていますね。

おうちが2つあるから、サンタさんも2つ来てラッキーですしね。


ーーーそれを当たり前と自然に感じさせて、お父さんがいつも一緒じゃなくても寂しいと思わなくていいよう、しっかり愛情をお子さんに与えてくれる環境がそこにあるんだなと感じます。毎週必ずお父さんに会いに行くことが決まってるというのも安心感があるでしょうしね。既存の家族の形とは少し違いますが、うまく自分たちのライフスタイルを作り上げられていますね。


りーこさん:そうですね、とりあえず毎週末は旦那と一緒に過ごしていますね。平日実家にいると色々な大人が息子を可愛がってくれます。田舎の良いところですね。ばあちゃんが農協や郵便局や畑や老人会の集まりに連れ出してくれたり、弟も遊んでくれます。年の離れた従姉が遊びに来て面倒を見てくれたり、息子も本当にみんなのことが大好きでいい環境で感謝しています。

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ーーーー妊娠や出産をするにあたり、欲しかった知識やサポートは?


りーこさん:周りの医師やナースなど医療関係者の人に、もっと脊髄損傷者の妊娠の知識を知ってもらいたいと思います。初めてのことは誰でも不安だと思うのですが、障害があると尚のことです。自分の体の何が正常で何が異常か、知っていてもらえると安心できるのになと思います。

作業療法で赤ちゃんのお世話を一緒に考えてもらえたり、関わった理学療法士さんが妊婦さん向けのマッサージの仕方を講習受けに行ってくださったりしたのは本当にうれしい出来事でした。そういう環境が当たり前になるといいなと思います。


ーーー今後の不安は?

りーこさん:今も不安は付いてまわります。幼稚園、小学校と上がるにつれ、私の障害をどう思うのかということや、無事に成人するまで育て上げれるの?!守り切れるの?という不安ですね。これは障害関係なく母としての不安ですね(笑)

でも妊娠出産で私はみんなに祝福してもらえたことがホントに嬉しかったんです。誰も反対する人はいませんでした。特に整形の担当の先生は本当に喜んでくれて第3のじいじのような存在です。周りのみんなには本当に感謝しかありません。



まとめ

りーこさんお話いただき、ありがとうございました。恵まれた環境だと思う方もおられるかもしれませんが、多くのサポートを受けることができたのは本当にただのラッキーだったのでしょうか?確かに障害を持つと1つの情報を知っているかいないかというただそれだけで人生が大きく変わってしまうことも、環境次第で大きく変わってしまうこともあります。

ですが、ご本人の人柄や赤ちゃんを産み育てたいという想いが周りのサポートを引き寄せている。彼女のお話を聞きそう感じました。既存の家族の在り方を自分たちのやり良いように変えてみるというのもまた新しい家族の形なのかもしれませんね。




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