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その5:まねることは学ぶことと心得る
障害者雇用で東証一部上場企業に就職することができた。ただし契約社員で賞与はもらえないし、生活は楽にはならなかった。通勤に片道1時間以上かかったが、引っ越すこともできない。
また私が採用された理由は、法定雇用率達成のための数合わせのためだった。ろくなキャリアがなく、学歴の高さだけが買われたわけだからやむを得ないのかもしれないが。
上司に相談しても、上司は正規雇用=家族だが、非正規の私はせいぜい準家族にすぎず、親身になってはもらえなかった。
私も上司を「両親」の様に思ったことは一秒たりともなかったが
ちなみに私の上司はこういう感じの女性だった。
私:「××の映画が好きなんです(1か月ぐらい前にもこの話したな・・・)」
上司:「そういえば先日、××という映画が好きという男性に会った。偶然だね!!」
こんなところで安住はしていられない。高みを引き続き目指し続ける。
その時、私はどうしたか。
私はある2人の人のふるまいや考え方をまねたのである。
1人目は、Facebookでつながっていた商社マンの元同級生。私は彼をまねして、積極的に海外旅行をした。
その友人は海外旅行が趣味で、長期休暇があればすぐに海外に行く人だった。
もちろん単純にうらやましかったというのはあるけれど、商社マンでバリバリ働いていた友人となるべく同じ振る舞いをあえてして、自己暗示をかけようとしていたのだ。
私はバックパックで、チェコのプラハ、ベトナムのフーコック、バルセロナに行った。これは上記、東証一部上場企業から外資系企業に転職したのちだが、イタリアをベネツィアからローマまで5泊で縦断もした。
当時の年収が額面で300万円だったから、海外旅行なんか行ったら貯金が全くできない。
当時まだ32~33歳だったけど、この記事を読んでいる人は私に、老後のことを考えて不安ではなかったのかと思われるかもしれない。
もちろん不安はあった。だけれどあえて将来の不安は考慮せず、成功者を演じてみたのだ。
そうすると面白いもので、(おそらく)成功者特有の楽観的な気分になれた。
金銭的に困っていないというのは、日々の生活や趣味に費やす金銭が足りないと悩まないことだろう。
私も同様に、「金銭が足りない」と悩まないようになった。
2人目は合気道の師範である。
この師範は、私が門下に入った時点で合気道歴が50年を超えていて、徒然草に出てくる武道の師範のように何も教えてくれない人だった。
しかし私はこの師範の合気道が好きだったゆえに、どうしたらこういう合気道ができるのか知りたいと思った。
また合気道の高段位であることを鼻にかけることはせず、むしろそのようなことに一切こだわりがない、まるで人生を達観したかのような人だった。
私は、司法試験を撤退した会社を短期間で離職し、障害者手帳のおかげで福祉のサポートを得てかろうじて就職できたという状況で、人生に焦っていた。
この師範のようにこだわりのない人間になりたい。
見えている風景は何かを探るようにした。稽古に足蹴く通い、稽古後に酒席にも同席させてもらった。
何を見ているか。何を感じているかを推測する。
ひたすらそれを繰り返した。
結局、師範は体調を崩し、逝去してしまい、先生の見ている風景を永遠に理解することはできなくなった。
しかし師範の見ている風景を見たいと願い、少ない脳みそを絞り続けたこと、すなわち師範をまねようと努力したことは、その後の外資系企業への転職成功したこと、その後の転職で正規雇用に返り咲いたことに影響したと考えている。
上記のように2人をまねて理解したことは、行動や思考をまねると真似しようとした人の気分を自分にトレースできるということだ。
これをミラーリング効果と呼ぶのかはわからないが。
そもそも学ぶという言葉は、平安時代は「まねぶ」と読んだ。そしてそこから「真似」という言葉が派生した。
まったく平安時代の日本人の慧眼には驚かされるが、模倣は学習なのである。
巷にあふれるビジネス書籍にライフハックが書かれているが、模倣することでライフハックの根底にある思考の型を学習することを目的としているのだろう。
学ぶことはまねること。もしあなたも現状を変えてみたいのであれば、尊敬する人や目指す人をまねてみてはいかがだろうか。
スティーブジョブズにあこがれているのであれば、イッセイミヤケのタートルネックを買って、毎日着てみることをお勧めする。