なぜ育児はつらいのか

現在、2人の子ども(2歳児と0歳児)と一緒に暮らしているものです。
毎日楽しく過ごしています!と言いたいところですが、そうは思えない日も結構あり、油断すると、親として失格!と言われてしまいそうな言動を繰り返して、その度に凹んで、罪悪感を覚え、やりきれない気持ちになる毎日です。

私の周りの同じような家庭からもだいたい同じような声が聞こえてきます。
(もちろん、なかには、つらいことなどひとつもない、楽しくてたまらない!という人もいますが。)

現代の育児を、おおざっぱにまとめると、
育児って(とびきり楽しいことももちろんあるけど)まあまあつらいもの。
というところに落ち着くのかなと思います。

育児ってまあまあつらい。

でも、一体なぜこんなにつらいのでしょう。。
育児ってもっとなんかこう、穏やかな光と優しい匂いに包まれてすくすく育つ我が子に輝かしい未来を見る、みたいな、無条件に素敵なもの、ではなかったんでしたっけ?
いや、それはたしかにかなり過剰な思い込みかもしれません。しかし、夜眠れないとかイヤイヤ期大変とか、もろもろの困難はありつつも、もうちょっと楽しいイメージありませんでしたっけ?

なんだか、自分の嫌な部分と向き合い続けなければならない修行みたいになってるフシがあって、たまに、えっとこれは何をしているんだっけ?と頭がぼんやりしてくることもあります。

日々のもろもろに追われ、自分たちがなぜこんなに苦しいのか、考えるひまもありません。が、どうせ眠れないのです。その夜を利用して、ちょっと考えてみようと思い、書き始めた次第です。

私には、私たちを苦しめているのは、夜眠れないとか、イヤイヤ期大変とか、作ったもの食べてくれないとか、そういった目に見えるものではなく、もっと根深い何かだと思えてならないのです。

と、真夜中の頭で考えていると、妙に頭が冴えて、いろんなことが脳みそを駆け巡ります。もっともらしいと思える仮説が、あれもこれもと出てくるのですが、今回は一つに絞って書きたいと思います。

現代の育児がまあまあつらい理由。

それは、価値観の多様性です。


(え??価値観の?多様性?)
(それって、むしろ賞賛というか、推奨されてるものでは??)

はい。その通りです。
私も、価値観は多様であるべきだと思います。それはもう議論の余地がありません。画一した価値観は、そこからこぼれ落ちる人たちをないがしろにします。

もう少し丁寧に言います。

現代の育児がまあまあつらい理由。
それは、多様化する価値観に対する耐性の欠如です。

(うん。だけど、それと育児とどう関係が?)

説明します。

伝統的な家族像というのがあります。
(この「伝統」というのもやっかいですが、ここでは触れません。)

ざっくり言うと、

お父さん=外で仕事してお金を稼いでくる人
お母さん=家で家事と育児をする人

みたいなことですね。
こういった考え方が広まったのは大正時代、サラリーマンという種類の人たちが増えはじめた頃のことです。(たった100年前に始まったことを「伝統」とか言っているのですが、それはさておき。)

とにかく、良い悪いは別として、
男は外で稼いでくれば、女は家事と育児をこなしていれば、役割を全うできたのです。

現代はどうでしょう。
女性の社会進出(この言葉も本当は嫌です)が声高に叫ばれ、
男性の育児参加(これも嫌です笑)が推奨され、
社会がそれぞれの性に求める役割が変化してきたように見えます。

しかし、ちょっと周りを見渡してみると、
いわゆる伝統的な家族像で求められていた役割が消えたわけでもありません。

実は、このあたりが、かなりつらいところなのです。
価値観は多様化しているけれど、多様化した価値観にどうつきあっていけばよいのかわからないままなのです。

例えば。

私は上の子を2ヶ月で保育園に途中入園させました。
さんざん悩んだ挙句の結論でしたが、その時の周りの人たちの意見は真っ二つに別れました。

反対する理由は、主にこれ↓でした。

・子どもは母親となるべく一緒にいるべきだから、そんな小さい時から親元を離れるなんて子どもがかわいそう。

「子どもがかわいそう」→この言葉はかなりグサリと来ます…。育児経験のない方に多かったです。

賛成する理由は、さまざまでした。

・入園できるなら入れたほうがいい
・仕事に復帰できるかどうかが問題で、それ以外に入園を止める理由はない
・はやいうちから多様な考えに触れた方がいい
・自分も2ヶ月で入園したけど、まあまあまっとうに育った

50年前に同じことを聞いたら、もう少し画一的な答えが返ってきたのではと思います。価値観は多様化している。これは間違いないと思います。

さて、多様化する価値観のなかで、お互い気持ちよく生きていくには、他者の価値観を尊重することとが重要です。(自分の価値観を表明することも重要ですが、実は生きることそのものが価値観の表明ですので、これはいったん置いておきます。)

他者の価値観を尊重する、とは、一体どのようなことでしょうか。
実は、それが、わからない、のです。

もしかすると、日本という国が、多様な価値観に慣れていないのかもしれません。

もう一度言います。
価値観は多様化しているし、それは望ましいことだけれど、多様化した価値観とどうつきあっていけばよいか、わからないのです。

ともすると、私たちは他人の価値観を過剰に内面化します。
上の例で言うと、保育園に入園させることに納得している自分がいる一方で、世間には、保育園にいれることを好ましくないと思っている人がいる、という事実を忘れることはできないのです。
それが自分のなかの誰かの価値観として、少しずつ私にダメージを与えます。

それは保育園に入れないという選択をした人も同じだと思います。「入れたほうがいい」という価値観との付き合い方に苦しんでいらっしゃる方はたくさんいると思います。

内面化された価値観は時に暴走し、私の日々の言動に対して「それはだめ」「それはかわいそう」と、(実際には言われたことがないのに!)心の中で小言を言ってきます。

これが、夜眠れないことよりも、理不尽なイヤイヤ期よりも、ずっとつらいのです。

尻切れとんぼで恐縮ですが、また書きます(あーまとまらない)。

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