あなたや私 in New York
合法的な部外者
オーォ、アイマ エイリアン。アイマ リーガル エイリアン。
繰り返すキャッチーなワードと、リズミカルな旋律。それでいて、実情その意味が、こんな寂しくて悲しくて、時間が空いてたなら、「まあ、酒でも呑もうや」って、言いたくなる歌詞の歌はそうないかと思う。まあ、曲の主人公はイングリッシュマン。Manners maketh man「礼節が人を作る」と考える主人公だから、ご丁寧に、私の誘いは断られることもうけ合いだが、私はそれでも、この歌の主人公をしつこく呑みに誘って、つらいねって酒を酌み交わしたい。
イングリッシュマンが、ニューヨークにいること。その疎外感。そのイングリッシュマンがどういった状況で、異国の地にいるかはわからないが、そこにいることが合法でありつつ、周りの人からはシラ~っとした目でみられる感覚。言葉を話したときに、同郷じゃないとわかったときに、同じコミュニティに純粋に属していないとわかった瞬間に、相手の視線や思考が私の肌上をジメ~っと通りすぎる感覚。わかりすぎるくらいにわかる。多分これは、いかなるコミュニティに属していても、属する部分から少し逸脱したり、毛色の違うコミュニティに顔を出すことになった瞬間に、皆感じるんではなかろうか。
そうした、「アンタ、ここのもんじゃない(純粋に私のコミュニティのものではない)ね?」という視線を他人に送り、受けることで、私たちはきっと文明を起こし、ひいては国家を形成して、所属意識だとかそういうものを構築してきたんだと思う。良くも悪くも知恵深く私たちは他人を判断し、良くも悪くも本能的に相手と自分の区別をつけることでコミュニティを守る。
大きなコミュニティに属せる才能があるか、否か。
これはこの人類において、学力よりも経験よりも多くの言語を話せるかよりも、重大な素質だと思う。その素質は、親が作り出す家庭環境から始まり、そこで育った価値観であり、他人から「エイリアン(部外者)」認定されない素質がある。大きなコミュニティに属せる人々は、それはたまたま、この世界線において、「エイリアン(部外者)」でないだけで、なにかが変われば、その人たちがまさしく「エイリアン(部外者)」かもしれない。背が大きい女性、背の低い男性、太った人、異性愛以外の性的嗜好を持つ人々、その土地のマジョリティとされるルーツを持たない人。(それがいかに実際少数でなくても)
いつの時代も私たちは私たちの社会における「エイリアン(部外者)」を探す。悲しいながらも、無意識にも。それがいいことだとも悪いことだとも思わないけれど、「あぁ、この町の中で私はエイリアンなのだな」と思うことが少なくなかった人生、かなりこの世界の中で「周辺で生きている」という感覚が、長く続いた。そのせいかどうかわからないが、人生というもうどうしようもないゲームの頑張り方、頑張る方向性を見誤ったな、と思うことも多い。
頑張りの方向性を一度間違えると、そのループから抜け出すには大変な労力がいる。ただでも、方向性を間違えたかて、頑張りは頑張りなのである。そう認めなければ、今までの私が泣いてしまう。正攻法でいけない場合、がむしゃらに生きていく金を掴むためには、しなくちゃならない選択があった。家出をしたときも、一人暮らしを始めたときも。私はひとつもそれを恥ずかしいことだとは思わない。地獄のような日々を、「エイリアン」として脇目もふらずに駆け抜けたから。その誰にも意見をさせないし、ここに私以外の価値基準なんか必要ないのである。
どんなに近しい人でも、私の気持ちをわかることはない。私の見た景色は、おいそれと他人に口外できたようなものでもないし、こうして独り言を書く以外には、特になにもない。だから、やはり。私がこんな風に思うってことは、多かれ少なかれみな、そういった気持ちがあるのではないかと思う。だから、やはり。この世にいきる人々は、みな、共同体を探しながら、誰ともわかりあえない「エイリアン」なのだ。
この歌詞がかなり好き。私も英語に詳しくないため、ニュアンス和訳だが、「一人前の男になるには、武器や銃のライセンスを持っているだけじゃ足りない。敵とツラを合わせても、避けられるものなら避けるべき。紳士は歩くんだ、決して走らない」的なことだと認識してる。
生きるだけでも必要の無い戦いに駆り出された「エイリアン」たちは、無意味な戦いにのることのコスパの悪さを知っている。戦ったことの少ない人ほど、戦いにうけてたとうと躍起になるのかもしれない。
さて、この歌詞の中の「イングリッシュマン」は、スティングの知り合いのことらしく、有名なゲイ・アイコンの有名人をもでるにしているという。私は常々この曲を、絶対、性的少数者のことだと信じて疑っていなかったから(私のアンテナが、ポルノグラフィティのアゲハ蝶と、一青窈のハナミズキ聞いたときぐらいピンときたので)、この事を知ったとき、やっぱりな、とちょっと笑った。やはり、直接記載したり声に出さなくても、同じ種類のエイリアン同士(歌詞と私)びびっとくるものがあるのだな。