ウーフィッッイ美術館 その5
ウフィッッイ美術館 35室 レオナルド 東方三博士の礼拝
本作『東方三博士の礼拝』は『レオナルド・ダ・ヴィンチ』が29歳の時に、「サン・ドナート修道院」からの注文で、着手したもので、この時代、彼の父親がこの修道院の顧問をしていた関係で、父親が口を聞いたのではないかといわれています。
納品期限は3年、制作料の代わりに土地が代価として支払われるという契約だったようです。
この作品は結局未完のまま『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はミラノに移り住んでしまいます。
本作を見てみましょう、中央に聖母子そしてその前に、星に導かれて東方から来た三賢者が描かれています。
そして、聖母子の周りにたくさんの人や動物が描かれています、まるで「押すな押すな」状態で、人々ががそれぞれに何か叫び、目を見張り、拍手をし、覗き込み、押し合いへし合いする様子が描かれ、そしてその様はまるで渦を巻く水のように流れています。
人々の感極まった様子や、賛美する声がこだましてくるように感じます。
また、この作品の下絵が残されていますが、そこには、綿密に線が何本も引かれ、それぞれの位置からの距離が正確に測りだされています。
この未完の作品に対して、『ケネス・クラーク』は「この作品は、15世紀におけるもっとも革命的で、型破りな作品」と評しています。
しかし『レオナルド』なぜかこの作品などを打ち捨てて、ミラノに行ってしまいます。
「またぞろ彼の作品放棄癖が出た」彼の周囲の人たちはこう思ったことでしょう。
しかし、こうした彼の行動の裏にもう一つの心の渦が音を立てて流れていたのです。
この頃のレオナルドの手稿の中に、『アルベルティ』の『絵画論』の一説が書きつけられています。
「優れた画家は、基本的に次の二つを描かなければならない。人間とその心のあり様である。前者は簡単で、後者は難しい、何故なら後者は四肢のしぐさや動きを通じて伝えなければならないからだ」
つまり静止画の中に動画を表現していくことや、静止画の中にドラマツルギーを描いていくことに心を砕いていたわけです。
たぶんそれは、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』と言えど並大抵なことではなかったはずです、思案を繰り返す中で、心のバランスを崩したかもしれません、心の中に渦巻く渦に身を投げたかも知れません。
完成したくても完成できないもどかしさに歯ぎしりを繰り返した過去しれません。
私はこの作品を見て彼の実現したかったことがその端緒についたことを知りました、そしてそのあまりの難しさがゆえに『レオナルド・ダ・ヴィンチ』は新たな活動を新たな土地に求めたのではないかと推測しています。
この、『二つの渦』はとりもなおさず、『アルベルティ』が『絵画論』の中で語ったことだはないでしょうか。
ウフィッッイ美術館 35室 レオナルド 受胎告知
『受胎告知』は、天使『ガブリエル』が『聖母マリア』に懐妊を告げに来る聖書の一場面です、『ルネサンス』時代によく描かれた題材で、先日『ボッティチェリ』の『受胎告知』をご紹介しました。
本作が描かれた年代ですが、『ウフイッツィ美術館』の公式ガイドによっても、1475年から1480年とかなり幅広い書き方がされています。
1475年ですとまだ彼は、『ヴェロッキオ』の工房にいた時代で、1480年には、すでに師匠の下を離れて独立して絵を描き始めた時代です。
発注主は分かっていませんが、オリビエートの、『サン・バルトロメオ教会』のために書かれたことは事実のようです。
描かれたのが、『ヴェロッキオ工房』時代なのかその後なのかは判然としませんが、工房時代の雰囲気をよく表している作品であるといわれています。それは、『マリア』が手を置いている書見台の基礎部分の装飾が、『ヴェロッキオ』が制作した、「サン・ロレンツオ教会」の、ジョバンニとピエロの墓碑のレリーフによく似ていることに象徴されるといわれています。
私は本作を改めて見て、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』がこの絵を描いた意図がよくわかりませんでした、彼のほかの絵にある徹底した計算がこの絵からはあまり感じられないのです、遠近法は少しあいまいなところがあるし、背景もあまりよくわかりません。
よく指摘されているように、聖母の腕の長さのバランスが悪く、聖母の表情も平板的です。
『ウオルタ-・アイザクソン』はそのあたりを、『レオナルド』が「アナモルフォーシス」(歪像)と呼ばれる技法に挑戦していたのではないかと解釈しています。何かというと、正面から見ると歪んで見えるのに別の角度から見ると、自然に見えるという技法です。
もしそうであれば、後に『最後の晩餐』で使った技法に見事に結実しているということになるのですが、どうなのでしょうか。
実際にこうして、絵を見て、いろいろ考えて、本を読んだり資料をあたったり、とても楽しいです。