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エヴァンゲリオン ~人類補完計画という夢~

「人類補完計画」というのは1995年に放送されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する一つの計画の名称である。作中の序盤から登場し、ストーリーの中核を担うであろうキーワードなのにもかかわらず、その内容が作中で言及されることはほとんどない。その内実を伴わない衒学的な雰囲気から「人類補完計画はマクガフィンである」という意見も数多に及ぶ。つまり、人類補完計画は物語上は代替可能なものであり、意味不明な陰謀なら何でもよいというのだ。しかし私はそうは思わない。エヴァンゲリオンという作品において「人類補完計画は物語を意味づける上で重要なものだった」と思う。
本稿では『新世紀エヴァンゲリオン』(以下エヴァ)という作品が提示したもの、そして同作品におけるキーワード「人類補完計画」とは一体何だったのかを改めて考えることとする。

「エヴァ」が語りだしたもの

まず人類補完計画について話す前に、そもそもエヴァとは何だったのか、どういう話なのかを少し考えてみたい。※ネタバレを含みます。
エヴァの大まかなあらすじを説明しよう。

災厄、セカンドインパクトにより世界人口の半分が失われた地球には「使徒」と呼ばれる正体不明の敵が襲来する。選ばれた14歳の少年少女が汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗って、その使徒と戦い続ける。その中で彼らは新しい生活を始めたり、新しい人間と出会い葛藤しながら少しずつ成長していく。

ここまでだといわゆるロボットアニメなのだが、エヴァ最大の特徴は「繊細な心理描写」にある。彼らは戦いの中で自らの実存と向き合い、あるいは他者との相互理解に苦しむ。特に話の後半では、時より内面世界の描写が挿入される。

例えば主人公・碇シンジならば夕日の差し込むガラガラの電車の中で他者とそして自己とも対峙する。

そこでは普段彼が表には出さない激しい感情、苦しみ、怒り、寂しさの慟哭が描かれる。

「碇君、どうしてあんなことしたの?」

「許せなかったんだ、父さんが。僕を裏切った父さんが。せっかくいい気持ちで父さんと話ができたのに、父さんは僕の気持ちなんか分かってくれないんだ。」

「碇君は分かろうとしたの?お父さんの気持ちを。」

「分かろうとした。」

「なぜ分かろうとしないの?」

「分かろうとしたんだよ!」

「そうやって、いやなことから逃げているのね。」

「いいじゃないか!いやなことから逃げ出して、何が悪いんだよ!」

第19話『男の戰い』

そしてそれぞれのキャラクターが抱える実存の問題が前景化し、彼らは「なぜエヴァに乗るのか?」という問いを自分に投げかける。

シンジはエヴァに乗ることで父親と繋がり、同級生やミサト、リツコ、そして父親からも認められる。アスカはエヴァのエリートパイロットになることで母親に認められようとし、エヴァに乗って勝ち続けてかろうじて自己像を保とうとした。エヴァに乗ること=社会的に生きることとなるのだ。

物語の前半に登場する使徒はいわば物理攻撃を仕掛けてくるタイプが多かった。しかし後半では使徒の攻撃はパイロットの精神を汚染するものへと転調する。第22話に登場する使徒「アラエル」はアスカの搭乗する弐号機に精神攻撃を仕掛け、アスカは無理やり過去の記憶を引きずり出される。

「嫌っ!こんなの思い出させないで!せっかく忘れてるのに掘り起こさないで!」

「そんな嫌な事もういらないの!もうやめて!やめてよぉ…」

第22話『せめて、人間らしく』

思い出したくない過去を使徒の精神攻撃で無理やりほじくり返されるその描写はまるで精神的にレイプされているかのようにみえる。アスカは泣きながら「汚された…」とつぶやく。そして彼女はエヴァとシンクロできない、すなわちエヴァを動かすことができなくなってしまう。

第24話ではアスカもレイも中学校の友達も失ってしまったシンジに一人の少年・カオルが近づく。そして二人は心を通わせ、その関係は控えめなBLのように描かれる。しかし、その後彼は使徒だと判明し、シンジは「裏切ったな…僕の気持ちを裏切ったな…父さんと同じに裏切ったんだ!」と言い放ち自らの操縦するエヴァで彼を握りつぶす。

アニメの終盤、エヴァの持つA.T.フィールドは「心の壁」だと明かされる。同一の人間ではない以上、人と人の間には壁がある。しかしその壁があるからこそ人は心に空白を覚え、互いに傷つき合う。

そうだ、エヴァは人々の心を、分かり合いたい、同一化したい、でもみんなバラバラの個人である以上それができないという人間が決してほどくことのできない心の問題を描いているのだ。

何を「補完」するのか

だから人類補完計画とは人々の心を、バラバラの心を統一する「心の補完」のための計画なのである。シンジの父・碇ゲンドウは人の心を、魂を融解させ、自己と他者の境界が失われた世界にユートピアを見いだす。人類補完計画が実行されるかどうかはシンジに委ねられ、彼の心がトリガーになる。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』The End of Evangelion

EOE(=『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』The End of Evangelion)においてシンジは大破して無惨に臓器をまき散らし、眼球が飛び出でている弐号機を目撃して叫ぶ。その瞬間、人類補完計画の儀式が始まる。人類の心が徐々に溶け合いはじめ、シンジは他人の記憶、心、本音を目の当たりにする。まず最初に映し出されるのはミサトの記憶。大学時代に付き合っていた加持リョウジとまぐわるシーン。シンジはそれを見て「これが……。こんなことしてるのがミサトさん?」とこぼす。

続いてシンジはアスカと対面し、アスカがミサトの家のテーブルに座っているカットに移る。そしてシンジが話しかける

「何か役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ」

「じゃあ、何もしないで。もうそばに来ないで。あんた私を傷つけるだけだもの」

「あ、アスカ助けてよ……。ねぇ、アスカじゃなきゃダメなんだ」

「ウソね」

「あんた、誰でもいいんでしょ!ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから!私に逃げてるだけじゃないの!」

「助けてよ……」

「それが一番楽でキズつかないもの!」

「ねぇ、僕を助けてよ」

「ホントに他人を好きになったことないのよ!」

第26話 『まごころを、君に』

シンジは「助けてよ……。助けてよ……。僕を、助けてよォ!」と叫び、アスカはそれを「イヤ」と拒む。次の瞬間、シンジは逆上してアスカの首を締め上げ、体が持ち上がる。

人類補完計画が始まり、人類はA.T.フィールドを失う。自他の境界を失った人間は体の形を保てなくなり、皆L.C.L(オレンジ色の液体)に変貌してはじけ飛ぶ。

しかしシンジは自他の境界がない世界には他人はおろか自分すらも存在しないと気づく。ジャック・ラカンによれば乳児は鏡像段階と呼ばれるものを経験する。幼児は鏡、ひいては他者のまなざしという自分を映し出す存在があって初めて自己の輪郭を見いだす。他者無き世界では人間は自分すらも認識できないのだ。

シンジは「でもこれは違う」と言い、自分が傷つけられたとしても他人のいる世界を望む。A.T.フィールドが再び人々を引き離し、己の形を取り戻す。シンジはアスカとともに砂浜で目を覚ます。

おわりに

エヴァンゲリオン放送当初では人類補完計画の全容をどのようにするのか全く決まっていなかったらしいです。ただ物語の後半からEOEに至るまでのキャラクターの心の描写を見ても、人類補完計画はあれでよかったんじゃないかなと個人的に思いました。

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