最後までが見える瞬間
どうも。徳丸一円です。
最近は寒くて電熱ベストが無いと出勤すら躊躇います。
まぁ寒いから行かないって事はないんですけど。
写真は最近受けたPCRです。
ばいおはざーど。
今日は劇団Lacrimosa(現在総勢一名)の公演を行なう劇場見学に行きました。
昔はワクワクしたもんなんだけどな。
劇場見学。
30分というタイトな時間で、やれる事やり、寒い中外で打ち合わせをして帰って来ました。
にくわれキャスをかれこれ1年は一緒に配信してるたけぽんが成り行きでついてきてくれて、帰りの電車で全ての愛は愛を持った時点から試される話をしました。
僕は僕が怪我しない程度に、痛くない程度にやりたい。
生の舞台の、あの呼吸や汗や目の動き、ひいてはあの空間と瞬間を切望している。
愛は持ってしまっている。
これは止められない、幾ら周りを傷付けて、情けない姿晒しても、僕は、多分やり続ける。
きっと謝りながらだろう。そうならないと良いな。
だけどほんのちょこっと、台本の作品や、その切望してる空間を愛してくれる人がいたらと思うと
進むのはやめられない。
TiktokやYoutube、主要な配信サービスもまぁ、それなりに通っては来たものの
コレは多分この芝居っちゅうコンテンツを消し切るモノじゃないなと
思ってしまった。
結局芝居への渇望や切望は芝居でしか埋まらない、とそう思った。何度か出演したし、何度かは観劇してみてそう思った。
時代は変わって行くらしい。どうやら。
古いのかも知れない、と、思った事もある。
そんな労力使わなくても、頭ではよくわかっている
でも代替になるものが僕の中で生まれない。
映像は映像で好き、舞台は舞台で好き。
パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない、いえいえ、パンが食べたいんです。
哀しい生き物ですね。
さて、今回立ち上げたLacrimosa(ラクリモーサ)という劇団の名前ですが
涙
という意味です。
日常生きてて、寂しさや哀しさ、皆抱えてる。
それでも前向いて笑ってる。
希望なくして涙は生まれない。
僕は僕の日常の、哀しいものを、涙を流す代わりに作品にしていこうと思っています。
混沌も希望も絶望も涙で終わります。
涙には誰も勝てません。理解出来なくても泣きます、人は。
そういうワケでネタとかに全く走ってません。
そういうのは前述した"娯楽だけ"埋める媒体で事足りてしまうからです。
今回のテーマは「孤独」
同時並行して書いてるのも2作品あります。
テーマは
「嫌悪」
「内なる自責の念」
暗いですねぇ(´・ω・`)
最近ワンピースを空島編から見始めました。
とても勇気を貰ってます。
今パンクハザードまで行ってるんですけどね
暗いテーマをどれだけ明るく書くか、本当に上質なシナリオに触れてしまい
笑わせなきゃ、とか考えてたのがすごく馬鹿らしくなりました。
魚人島編凄まじかったー、よくあんなわかりやすく、道徳を、すごい。
話がそれました。
今書いてる作品はどれも、剥き出しの俺です。
これで勝負出来ないなら降りた方が良い。
意見を役に言わせるのではなく、シチュエーションを整えてディテールに至るまでを説明する。
ドラマで何かが変わる事はありませんが、人と話す時、芝居を見た帰り道、多分これでもかというお土産を
お渡しできると思います。
作品を丁寧に、様々な俳優女優が同じ作品で演じる。
そうする中に役者本来の輝きが見える。
本が生き物になる、それは思った形と違うかも知れません。
稽古が無茶苦茶楽しみです。
ということで、決めるべきを決め、台本を書いて寝ようと思います。
おやすみなさい。