ケース-1271364③
全国指名手配から二日目の深夜
江藤は謎の追跡者である亜城と共に、"スラム"へと向かっていたのだった。
息を切らせながら監視カメラやドローンのいない道をいく江藤。
「まさかとは思うんだがね」
「なんだ」歩みを止めない亜城
「歩いて大阪まで行くつもりじゃないだろうね」
警視庁がある東京からは大阪まではかなりの距離である。
亜城は立ち止まって振り返り、息の切れている江藤を足元から眺めた。
「何言ってんの」
「公共交通機関も飛行機も使えない、ましてや車も、君はそもそもどうやって私を見つけた、聞いてない事が多すぎる」
「私も聞いてない、それがフェアでしょ」
「座ってもいいかね?」江藤はコンクリートの花壇を指す
ここは海沿いの公園、コンクリートの絶壁に波がチャポチャポと当たる音が聞こえた。
「言ってない事はたしかに多かった、すまない」
亜城の鞄から飲料水が出てきた。
亜城は口の横からこぼしながらそれを飲んだ。
「このタトゥーについて聞かせてくれないか」
「…今は明かせない」
「そうか、なら次だ。仲間はいるのか」
「別の任務だった」亜城は目を細めた
ハヤブサのタトゥー、組織、複数のチーム、江頭の頭の中で検索が始まった。
「アンドロイドについて君はどう思うね」
「買った事も使った事もないからね、なんとも」
反アンドロイド派ではない…余計に混乱した。
「もうそろそろ行く…記憶喪失だって言ってたね、お前の名前は教えといてやる、那篠(ナシノ)って言う」
「なしの?」
「行くぞ那篠」亜城は再び歩き始めた
感覚は老体のままだったが、案外身体は長距離の移動に適応していた。
少しの休憩や深呼吸で癒える量が脳を移植するまでと違った。
あと気持ちさえ若ければな、と、江藤は思った。
ナシノ…という響きは耳に残った。
疲れて思い出せないが、杖をつきながら亜城の後ろについていく。
ゆっくり考えれば出てくるのか、記憶力が悪いのか
ついていきながらも思い出そうと頭をフル回転させる
どこまで歩くのだろうと思っていた。
言いたい質問、確認したい事の数々が、江藤の心臓が脈打つ音や肺を膨らませる空気の音で消えていった。
2時間は歩いただろうか。
コンビナートに着いた。
亜城は歩く際脱いでいたジャケットを再び羽織り
フェンスに向かって助走をつけて登った
若者の流行りの服も汗だくだった。
「センサー切ってくる、カバンの中にレーザーカッターがあるわ、人の通れるサイズに切って」
フェンスの向こうにはコンテナが沢山積まれていた。
遠くから見えてはいたが、船は何処にも停泊していなかった。
船が来るのか?
何度かパトカーや見回りのドローンは道中見かけたがかなり遠くにだった。
追われて無かったんだろうか。
息を整えながら滴る汗がカバンに落ちない様にバッグの中からスタンガンのサイズのレーザーカッターを出す。
遠くに亜城が走りながら手を振るのが見えた「フェンスを切れ」のサインだと顔を見てわかった。
一本ずつ切っていくフェンスの金属を切るのに1秒かかる。
人の通れるサイズに切るまでには亜城は江藤の元へついていた。
カバンをおもむろに持ち上げてスタスタと歩きながらコンテナを探している。
「コンテナの番号は35416…東洋電人の貨物だ」
「船で行くのか?」
「乗りゃわかる」番号を探しながらコンテナを見ていく。
一際錆状態の悪いコンテナに掠れた文字で5416が確認できた。
「乗りな、揺れるよ」両開きの扉を片方開けながら亜城
コンテナの中にはボロボロになった段ボールが積まれていた
亜城が乗って、内側から木の棒を留め金にかけた
「あと2分だ」少しの沈黙の後、外からデカい音がする
江藤は息を整えながら座りやすい段ボールに座る。
「なぁ、言ってない事がある」
「何」
「記憶喪失ってのは…嘘だ」
地響きの様な轟音の後、衝突音がする、上から。
その後両サイドから機械音がして
浮遊感が亜城と江藤を襲った。
「ドローンかね」コンテナの中でシェイクされながら江藤が尋ねる
「そうだよ、東洋電人の古いドローンは積荷がチェックされない、アンタの座ってた荷物がコイツらの集荷依頼だし、返品依頼だよ」
集荷と返品を繰り返している貨物が
揺れるたびにバランスを取り切れてない亜城にも江藤にもぶつかる。
疲労、ストレス、揺れ、あるいは頭をぶつけたからか
江藤は何も言わずに倒れ、重力や揺れに逆らわず、死体のように文字通り転がっていた。
配送軌道に乗り、重力や揺れが幾分かマシになった頃、江藤は起きた
「なんだ?あ、ドローンかね…」
「そんで、さっきの話は」さっきまで江藤が座ってた段ボールに亜城が座っていた。
ボンヤリと眺めながら頬の違和感を触る
気がつくと顔に藁がついていたり、服に紙切れがついていたりした。
江藤は身なりを整え、コンテナの後部にもたれかかった。
「脳移植を受けた、この身体はドナー提供されたものだ」
伝えるのにはリスクがあったが、江藤は悪い事には使われないだろうと判断した。
亜城は目を丸くしている。
高リスクで高医療費である脳移植、あるらしいという都市伝説でしか聞いた事が無かった。
「あ、あっそ…じゃあ中身は誰なの」
「全国指名手配犯だ、年齢は85か6ぐらいのな、明日にはニュースになってるかもしれん」
「なんで話したんだ?殺すかも知れない、警察に突き出すかも知れないのに」
「失礼だと思ったからだ、ワシもスラムへは行きたかった、だが、利用するには優しすぎる、良心が痛んだ」
「優しくはない、あっそ…脳移植ね…」
哀しそうな顔で俯く亜城を見て
ドナーの死も同時にほのめかした事が実感として湧いた。
話すべきでは無かったのかも知れない、と
江藤に苦い思いが沸いた。
「すまなかった」
「そのドナーの、那篠はどう亡くなったの?」
「脳の損傷だと聞いた。アレのやり過ぎだと」
「ドラッグか」亜城はしばらく考え込んだ
たまに江藤を見て、少し長くなる様な沈黙が流れた
大きめに息をすい、亜城は何か話すのを決めた
「…市民治安維持覆面特殊ユニット、ラーズ」
ラーズ…
その言葉を聞いた瞬間、那篠が誰なのかわかった。
警視総監として働いている時に会議の資料に出てきた男。
警察は実権を持たないが、治安維持目的の武装隊に特殊で匿名のチームがあり市政に紛れていると。
暴動が起こりそうな情報を収集し
市民が暴徒と化すと決まった瞬間にそれを密告、鎮圧する為の組織だと。
「聞いた事ないでしょうね…連絡が途絶える事は日常茶飯事だったけど」
江藤は黙っている
「でも3年は長かった…ソイツが…死んでたなんて…」
声でわかる、亜城は泣いている。
江藤はこの暗い密室空間でどこに目をやれば良いかわからなくなった。
時折煽られる横風にコンテナはグラグラと揺れる。
動揺はしないが、それでももう地位も名誉も失ったなら何も心に波風は立たないと思っていたが
不覚だった。
何も求められずに生きたいなんて傲慢だったのかも知れない。
江藤が口を開く
「なぁ、亜城さん」
亜城は振り返らず、肩を揺らしている
「ワシ、手伝うよ。なんでも。この身体を貰った縁だ」
「出来るわけないじゃない」
「出来ずとも、支える事は出来よう」
背を向けた亜城が上を向いて涙を拭いた後
振り返った
「預かりは違うが、警視庁の叩き上げだ。少しは役に立つかも知れん…ラーズ」
「警視庁?」
「警視総監をやってた事があってな、資料で那篠の名前を見た事がある。あの資料は代々木罰文字組大集会の」
「煽動テロ集会ね」
「宗教団体がバックにおった」
頷きながら亜城は受け入れている様だった。
肩越しに聞いていた亜城の姿勢が江藤を向くように開いた。
「警視総監がなんで全国指名手配犯なの?」
「ハメられたんじゃ、後釜を狙った者の罠にな。
部下がドラッグを打たれて暴れてる、と匿名で電話があった。念の為銃を持っていったら、カメラの死角で瀕死だったんじゃよ、まことにくだらん事に大切な部下が巻き込まれた」
「そんでカメラ避けて逃げて来たの?」
「あぁ」
「なんで生き延びようとするの?そこまでして」
「くだらんよ、それも」
「くだらないわけないでしょ」
「嫌だから、以上に説明出来ん。
明日命が奪われるとしても、最後まで生き残ろうとしなければ。考えずに生きて終わらせられるのか、死ぬ前まで考えて死ぬのか
脳を移植した以上、コレを使う以外に、ワシが生きてる証拠は無い」
「…」
「理想や姿勢の話じゃよ、ただのな」
「…本当の名前は何ていうの」
「才四郎、江藤だ」
「覚えとく、エトー」
上空の横風は時に激しく吹き
それに耐えるので亜城も江藤も
それ以降は何も話していない。
ただあまり高い所は飛んで無いんだろうなと
遠くに聞こえるクラクションの音を江藤は聞いていた。
指名手配二日目の夜はまだ続く。