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裂けた動脈 中編
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「はじめまして。山田さんの治療を担当します〇〇と申します」
女性の医師だった。女性であることは何の問題もない。ただ、とても若い医師だった。20代の半ばを少し過ぎたくらいだろうか。映画「ジョゼと虎と魚たち」の池脇千鶴をものすごく頼りなくしたような感じだ。
彼女の傍らには40代半ばくらいと思しきメンタルとフィジカルの充実が高い次元で重なり合っている雰囲気を醸し出す男性医師が付かず離れず寄り添っている。おそらく若手医師の教育係、お目付け役というところだろう。急性期を越え、痛くないのを通り越して多幸感すら感じるほどの強い鎮痛剤が必要なくなってきた僕にはそれくらいの観察力は戻ってきていた。
そういえば救急外来の医師も、細やかなケアをしてくれた看護師たちも押し並べて若かった。この総合病院が若手の医師や看護師の育成も担う機関であること知るのは後のことだ。
そんなことを思い浮かべていたら半透明の滅菌シートを全身に掛けられた。頭からつま先まで覆われる。どうやらこの入院中で最大の山場となる首に極太の点滴を穿つ処置が始まるようだ。ちょ、ちょっと。まだ心の準備が。
「山田さん、動くと危ないのでちょっと手足を押さえますよー」
シートの上から四肢を完全に押さえ込まれた。身動きが取れない。ちょっと待って。そんなに痛いの?暴れるくらい痛いの?!
もうひとつ気になって仕方ないのが処置を担当するのがどちらの医師か、ということだ。ベテランの男性医師か、頼りない池脇千鶴か。どっちなの?
半透明シートのぼやけた視界に映ったのは頼りない池脇千鶴のほうだった。局所麻酔の注射器を持って僕の首もとに近づいてくる。千鶴、やはり貴様だったか。不安が募る。
千鶴の動揺と緊張感がシート越しにも伝わる。視線、注射器を持つ手つき、佇まい、どう見ても場数を踏んでないことは明らかだった。身体の自由を奪われた状態で、自分のスキルに一抹の不安を抱く医師が注射器を持って近づいてくる恐怖を想像してみてほしい。
「山田さん、局所麻酔の注射をします。ちょっとチクッとしますね」
予想するよりも強い痛みだった。反射的に身体が跳ね上がる。四肢を押さえ込まれる意味がわかった。麻酔でこんなに痛いって、本番どんだけ痛いんだ。外科処置をされる人間誰しもが抱く恐怖が脳裏をかすめる。
麻酔はすぐに効くらしく「もっとちゃんと時間を置いて麻酔がしっかり効いてから…」と願う僕の気持ちなどそっちのけで本処置が始まった。局所麻酔の痛みなど蚊に刺されたようなものだったと思い返せるほど地獄の時間が始まった。
後編につづく