魍魎の匣 美馬坂×陽子 十四年の時間、出した答え

妻のことを娘に全てを押しつけた、結果、それが今だ。
 研究に没頭できる生活は、ある意味、自分の求めていた生活、そのものだ。
 時折妻から手紙が来る、それを読むたびにわずかに残っていた良心というものの呵責を感じるが、それも最初のうちだけだ。
 妻の手紙には自分に会いたいと書かれていたこともあったが、それも最初のうちだけだ。
 現状をわかっているのに、そんな事は無理だとわかっているのに、次第に自分の病状のことを簡潔に知らせてくるだけの内容には自分のとだけだ。
 一人娘の陽子の事には触れていない、無理もない。
 絹子は知っているのだろう、だかに書かない、いや、書けないのだ。
 魍魎の匣 美馬坂×陽子 十四年の時間、出した答え 

 妻を愛する心に気持ちは変わりはない、だが、病気で変わっていく彼女の側にいるのは耐えられない。 
 人は自分を強い人間だというが、それは違う、守る為に逃げた、それだけだ、自分を守る為に。

 夜遅くに研究所を訪ねてきた、娘の姿を見た瞬間、絹子と呼びそうになる衝動を寸前のところで堪えた自分に美馬坂は時間の流れを感じた。
 十四年が長いのか、短いのかわからない、ただ、目の前で疲れ切った顔をしている娘を見ると言葉をかけることさえ躊躇われた。
 加菜子を助ける為、体の不要な部分を切断する。
 それは言葉で理解しても受け入れがたいかもしれないことかもしれない、だが、陽子は頷いた。
 加菜子が助かるなら、どんな大変なことでもいいと。
 「ここを出ることはできない、だが、いずれは喋る事、会話も可能になる」
 未来は決して悲観すべきものではない、自分の言葉を信じている陽子が笑う、そのことに安堵した。
 「ここに居てもいいんですよね、私は母親なのですから」
 勿論だ、返事の代わりに頷くと陽子は安心したように微笑んだ。
 「ここで生きるということは年も取らず、そのまま、永遠に存在し、生き続けるということだ」
 陽子は一瞬、驚いた表情になるが次の瞬間、真面目な顔になった。
 「それなら、自分はここに、ずっと」
 すぐには返事ができない。
 「陽子、おまえは」
 「どこにも、行く場所なんてないんです」
 小金井町、柴田の家には戻れない、いえ、帰れません、その言葉に美馬坂は、すぐには返事ができない。
 「おまえにはどこか別の場所、家を用意する、そこから好きな時に通ってきなさい」
 一緒にいたら、また同じ事を繰り返してしまうかもしれない。
 言葉にはしない、だが、加菜子の手術が終わった今、その不安がないとは限らない。
 十四年前、自分は逃げた、だが、今の自分はここを出るわけにいかない。
 存在できる場所なのだ、ここが全てなのだ。
 「お父さん」
 わかってくれと言いたいが、自分の言葉に娘は首を振る、それは自分もだと。
 「会いたかったんです、お父さん、あなたに」
 自分の娘が死にそうになったというのに、こんなことを思ってしまうなんて非道い娘だろう。
 「自分の娘の安否より、会えたことが嬉しいんです、あなたに」
 その言葉に愕然とする、何を言えばいいのかわからない。
 それはよくないと諫めることはできない、その資格は自分にはないのだから。
 突然、抱きついてくる娘に驚きが、首に回され絡みついてくる腕を振りほどく事ができない。
 突き放す事もだ。
 「幸四郎、さん」
 かすれた声が今にも泣き出しそうに聞こえる。
 できないと思ってしまった、突き放す事が、いや、それだけではない。 
 「加菜子を助けたなら、お願いです、助けてください」
 美馬坂は頷いた、それしかできなかったからだ。
 

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