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ディープ・ブルー・スカイ①

 見たことのないほどに濃い青色が、西海岸の空を懐かしく染めていた。オレゴン州で最大のポートランド国際空港をレンタカーで後にし、高速道路のI-205を目指した。南方面に合流したらすぐにバイパスの30Bに降りないといけない。
 「これが俺の好きなアメリカだよ」と感傷に浸りながら、10年近く前に流行っていたロック・アンセムを大音量で聴いていた。あまり気持ちがよくて次第に窓を全開にしたくなったが、まずは標識を見逃さずに、分岐点を見逃さないようにする必要があった。
待ち合わせ場所の「パイン・ステート・ビスケット」に向かった。旧友とゆっくり座って話せるような店ではないが、久しぶりにあのグレイビーソースを味わいたかった。休日のブランチには最適な店だ。
「何年ぶりだ?ニューヨークにはもう慣れたか?」大学時代よりもさらに太ったジェイクが言った。
「3年ぶりだね。だいぶ慣れたよ。ただ、俺にはちょっと都会すぎるかな。ポートランドぐらいの規模の街がちょうどいい。」
 まるでニューヨークシティに住んでいるかのような言い方だが、実際はそこから車で2時間ほど、ハドソン川沿いを北上したところにある街に住んでいた。みんながイメージするニューヨーク「シティ」ではないが、ニューヨーク「州」であることに間違いはない。東京で例えたら福生市みたいなところだ。
 しかし俺の「ニューヨーク」の発音がニューヨーク訛りに染まりすぎていて、「本当はニューヨークのほうが好きなんだろ?」と言わんばかりのにやけ顔でジェイクは俺を見た。
「かなり痩せたじゃん。何かあったの?」ジェイクが言った。
「お前の太った写真をフェイスブックで見たから、反面教師にした。」  ジェイクは俺に向かって中指を立てた。
「今晩はウチでバーベキューをやるから、少し美味いものを食ってけ。一旦俺は帰って準備してるから。」ジェイクが言った。

 ニューヨーク州で住んでいる街には有名な私立大学があり、俺はその大学で日本語の講師をしている。もちろん、日本語が話せるからやっているだけで、学生の方が頭がいい。一応の専門は言語学だが、その研究もほどほどにしかしていない。
 今回オレゴンに帰ってきたのは、主に転職活動が目的だった。そのニューヨークの大学での契約が今年度で満了するためだ。
 転職先の1つ目の候補は、ポートランド市内にあるインターナショナル・スクールだ。そこで日本語の講師をしようと考えたわけだ。小学生から高校生までが通い、日本語をはじめ世界の言語を学んでいる。そこに転職できれば、もう頭の切れる大学生ばかりを相手にしなくても済むだろう。
 2つ目の候補はポートランド郊外に本社があるスポーツシューズのメーカーだ。主力商品はスポーツシューズだが、アパレルも充実している。この会社で何がしたいか聞かれるとうまく答えられないが、オレゴンに帰る口実になるし、超優良企業だ。受かる自信はないが、「とにかくやれ」と自分を鼓舞する。
 転職活動が「主な」目的だというのはもちろん、学生時代の旧友に会いたかったからというのもある。その旧友には、ジェイクだけでなく、アマンダも含まれる。
 俺は地元である千葉市内の進学校を卒業して、すぐにアメリカ西海岸に渡った。日本国内では東大だけ記念受験して、アメリカを目指しては振り返らなかった。アメリカで受験した大学は10校ほどで、最終的にこのオレゴンの大学に入学が決まった。
「せっかくアメリカの大学に行くのだから、卒業したら少しアメリカで働いてこい。」親父にはそう言われていた。お袋は成田空港で見送ってくれたとき、今にも泣き崩れそうで、そのときは正直、アメリカ行きを踏みとどまりそうになった。しかし、いざポートランド国際空港に降り立つとそんなことは忘れてしまい、大学と大学院を合わせて6年間オレゴンに居座った。そして親父の言う通りアメリカで就職先を探した結果、今のニューヨークの大学に落ち着いた。
 1時間半ほどか、そんな回想をしながら時速75マイルでウィラメット渓谷を南へ突き進むと、母校のあるコーバリスに到着した。アマンダとは午後3時に「ダッチ・ブラザーズ・コーヒー」で待ち合せることにしている。時間まで少しドライブしながら、赤レンガの建物が並ぶキャンパスを懐かしもう。そうして大学のフットボール・スタジアムの裏側に向かうと、思い出のテニスコートは改修されてすっかり面影がなくなってしまっていた。「まあそんなものか」と諦め、統計学の講義を受けた講堂の近くにある、待ち合わせ場所のコーヒーショップを目指した。

「実物はもう少し痩せてハンサムだと期待してたけど。」二言目にアマンダはそう言った。
「写真どおり、だいぶ太ってるね。」 アマンダは厳しかった。
「ありがとう。アマンダもずいぶん痩せこけて細くなったね。綺麗だよ。」と皮肉を言いたくなったが、この年で大学生のノリはまずい。「ニューヨークの飯が美味いから、少し食い過ぎたかな。」
「そうなんだ。」アマンダがラテをすする。「またホワイトモカばかり飲んでるからじゃないの?」
「そんなことないよ。」ホワイトモカをすすりながら俺は答えた。「どうしてまだこの大学にいるの?博士課程は終わったんだよね?」
 実はこの3年間、アマンダとほとんど連絡を取っていなかった。なので、知らないことが多い。
「博士課程を修了した後、ちょうど研究員のポストに空きが出たから。今はとにかく、生化学の研究だけしてる。」
「そっか。」
 アマンダは一度夢中になったものにはとことんハマるタイプだった。あまり深入りしないほうがよいと思い、しばらく他の話をした。
「それでなんだけど、」勇気を振り絞って切り出した。「3年前のあの話、まだ覚えてる?約束した話。」
「あの話って?今晩ジェイクとメーガンの家でバーベキューなんでしょ。本当に私も行っていいの?」アマンダは言った。とぼけているのか、俺の言い方がわかりづらかったのか。
「その、いつか俺がオレゴンに帰ってくるから、一緒になろうって言った話だよ。」
 口約束だが、いつかそうして結婚しようと当時話していたのだ。いざ言葉にすると、恋愛映画の「君に読む物語」のようで恥ずかしい。
「3年も待たせて、ごめん。」
「ああ、その話ね。もちろん覚えてるよ。」
 そう言われて俺は安心した。
「でも、3年はちょっと遅すぎるんじゃない?待ってた私の都合は考えてないでしょ?」  その通り、アマンダの都合は考えていなかった。相手も自分と同じことを考えているだろうと思いこむのは、俺の悪い癖だ。
「今晩は約束どおりジェイクのパーティーに行くけど、変な期待はしないでね。」
 決めた約束を簡単に破らないのが、アマンダのいいところだ。
 それからアマンダを車に乗せてポートランドへ向かった。「自分の車で行くよ」なんて言われていたら、せっかく会いに来たのに気まずいと思ったので、気持ちが楽だった。アマンダはそこらへんの気遣いが上手だ。少し一緒の時間を過ごすと、また昔のように会話に花が咲いた。

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