何のために看護師になったのか
昨年2021年4月に新型コロナウイルスに対応する発熱外来を設置する事となった。
市から言われた通り院外に設置するにはうちの病院には場所がなかったので、急遽ら敷地内の来院用ガレージ内にテントを2つ張って「ブース」なるものを
作り、真っ暗な中、屋外電源を張り巡らせ、開始した。
発熱者が、というより普通に受診してくる院内の患者からもコロナ肺炎が発生し、発熱テントはすぐ予約で埋まってしまった。
初夏の暑い時間、防護服・シールド・N95をつけた医師と看護師は
汗が滴るのを拭く事すらできず、未知のウイルスと闘う事になった。
その頃、今まで当たり前のように使っていた衛生材料が急激に不足しだし、
マスク・グローブ・エプロンが「入手困難」「在庫0」となり、
院内は大パニック状態となった。
感染予防をしなければいけないのに、衛生材料・感染予防物品がない。
その診療が終わるたびに次亜水で消毒をしなければならない選択になった。
アルコールも品薄になり、市場の薬局からも姿を消した。次亜水で外来のロビーのソファー、てすり、エレベーター,トイレ等全て診療毎に拭いた。
程なく、コロナ患者や発熱外来を取り扱う病院は厚労省から物品の支給があったが到底追い付かない。
それさえ中国政府からの寄付に頼っている。中でもマスクは当たり前のように毎日替えていたのに、1週間に2枚と限定され、洗って使わなければならなくなった。
病院の開錠を1時間繰り下げ、密にならないように外来ロビーがサロンにならないように
完全予約制にして、病院玄関には交代で管理職が立ち、来院する何百名もの患者一人一人に
センサーで検温するように促し、マスクを装着するように説明した。
勤務状況はかなり逼迫し、人手が足らず休みが取れない状況に陥り、
地方から出てきている職員は「帰ってこないで」と言われ、医療従事者は心身ともにズタズタだった。
バーンアウトする医師や看護師を目の前にして私はどうする事もできなかった。
その状況の中、ある日整形外科外来に来た一人の女の子とそのお母さんが
私を呼び止め、「Amazon」と書いた段ボール箱を渡してきた。
その中身はゴミ袋で作った防護服30枚だった。
その頃、各病院で防護服が足りずYoutube等で防護服の作り方がアップされていたが
けっこう手間がかかり、容易に作れるものではなかった。
骨折しているのにお母さんと防護服を作ってくれていた彼女は、「何か役に立ちたくて」と照れくさそうに笑った。
その時、感染者が増え,外来で食い止められない勢いに私は病院のトップから毎日重圧をかけられて感染者が増えているのは自分のせいとさえ思い込んでいた。
外来の患者がマスクをつけてないのも私のせいにされ、不足した物質、不足した人員の毎日に潰れてしまう寸前だったが
彼女の一言は私の救いだった。
「そうだ、私は誰かの役に立ちたい、誰かを救いたい、誰かを守りたい。そう思ってこの道を選んだんだった。」と思い出した。
物資がなくても、人員が少なくても、財源が限られても、やらなくてはいけない事がある。
命を守る事。これは私がずっと前から生まれる前から前世から自分の使命としてきた事だと思えるくらい、
やるべき事、そう思えた。
もったいなくて使えなかったけど医師も看護師も喜んで使わせてもらった。
でも、実は一枚だけ大事に取っている手作り防護服。人の手によって命を守るために作ってもらった私の大事な宝物だ。いつでもこれを見て人の心の暖かさを思い出したい。
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