冗談関係のある隠居生活から見た、古民家の可能性。
40代でセミリタイアし、自らを「ソーシャルな隠居」としてから4回目の夏を迎えます。
死ぬまで楽しく暮らそうと立ち上げた新しい住まいの形「ギルドハウス十日町」。3年間で44名と共同生活し、訪問者は延べ6,700人を超えました。
もうじき梅雨入りしそうな気配のなか、そんなじぶんの生活に興味を持ったという、とある大学院生と会話したときのこと。
彼は古民家再生について研究していて、ビジネスとしての活用というより、もっと暮らしに寄り添った古民家の可能性を探っているようでした。
「たとえて言うなら『ちびまる子ちゃん』の友蔵さんのような立場をじぶんで作ったようなものかな」
そう話したら
「それって、いわゆる『冗談関係』ですかね」
彼がそんなふうに返してきたんです。
友蔵さんは働いていないけど、まる子ちゃんたち家族に囲まれて楽しそうに暮らしていますね。そんな友蔵さんみたいなじぶんの立ち位置を、ギルドハウス十日町での暮らしで作っています。ここを巣立ったひとが各地に親せきのような家を立ち上げ、結婚したり子どもをもうけたりしています。
これなら40代で隠居しても、働くという意識がなくても、これから歳をとっていっても、死ぬまで楽しく暮らしていけるのではと思っています。
というわけで「冗談関係」についてちょっと調べてみると
文化人類学における用語。互いに相手をからかったり普通なら無礼とされる行為でも、喜ばれ、笑いあえる関係のこと。
というような意味合いのようです。
その大学院生いわく、こうした関係性がとても重要とのこと。大阪で「アホ」とか「ボケ」とか言っても許されてしまうような、アレですかね。
そう言われてみれば、いろいろいじられているような。血縁はないけど、娘や息子のように思えるギルドハウス十日町の住人たちから。
大学院生との会話でそんな感想を持ったと同時に、そういう冗談関係が社会的に薄くなってきているんじゃないか、と思いました。
日本の家庭に友蔵さんみたいな立ち位置のひとが減っているのかな。
政治や仕事やネットの世界でも批判し合うばかりになっているのかな。
古民家は、そもそも住まいであったもの。
カフェや宿にするのもいいけれど、そこから関係性が広がらなければもったいない。
冗談関係を築けるような、古民家が持つ本来の暮らしの機能がもっと活かされるべきなんじゃないかな。
そう思いました。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。